雑記:文アルとか近代芸術、108


2月2日めも。


リアルタイムで5月24日、さっき別の5月の日付けでも書いてましたが2017年度分が終了したので今後は2018年の、と毎回書かなくてもいいんだなー、と思うとなんとなく感慨深いものがあるにはあるんだけどそれだけ溜めてただけじゃんという突っ込みも同時に入るというか。
ぐだぐだの極みのようなものをぽつぽつ書き連ねてなんとか方針みたいなものは決まったかなー、多分あれ「時代がすでにつながってるジャンルに頼って小説の年表に欠けてるものを探す」みたいな方針かなと思います。
えーと、年表が欠けてると認識しているのが大正時代で、まあ、純文学関係の人っていうか文学史の人ははっきり不毛の時代って言ってるんだけどね。
なんとなく現代人が新思潮を知らないのもそのせいかもなぁ。
ただあれが純文学としての存在かっていうと全然違うってのは同意見で、純文学の歴史としては語れないっていう態度を取ってる分には多分不当でもないんだよな。
ただそうなると問題なのが芥川で、これの立ち位置が実はよくわからない。
一般人も知っていたのは間違いないです、作品によってはともかく、なんというか『歯車』に至るまで普通のおっちゃんが読んでるってのは示されてるし。

が、その状態を一体どうやって捉えていいかわからない、出版社が取り合いしていて一時期は主に文藝春秋でしか掲載されていないというのが文藝春秋の売りであったというのも、複数の個所で触れられていて間違いはない。
いや菊池さんは確かに売れっ子だけど、芥川と連名にすることの効果みたいなものをちょくちょく利用している、ただその芥川がよくわからない。


2月3日めも。


で、という雑導入するわけですが、漱石さんのほうはこの辺は分析が進んでいて、漱石さんに関してかなり面倒な作品になっても相当数の読者が付いて行ったのはまあ多分最初に柔らかい「猫」を書いたからだろうなー、と言われてまして。
多分これ、文化受容って観点から見てこれ以上の見解ないんじゃないかな。
なんか確かに難しい感じになってったけど、まあいや、難しくてもあくまで色恋メインだけど、いやでも漱石さんもともとそういうの好きっぽいしなんか! 哲学ではあるけど三角関係の末の哲学!! でそこまで難しい一辺倒で受け止められたかどうかはちょっと自信がないけどどうなの実際。
いや当時の作品て色恋沙汰しかないけどねー。
別にそんなに妙な話でもなく、結婚が個人のものではない時代から恋愛結婚がそこまで珍しいものでもない時代へと変化しつつあったので、新時代の象徴が自由恋愛なんだよね、結婚相手に家の結びつきがない、人生にも家の縛りがない。

そういや芥川って恋愛作品ほとんどないんじゃなかったっけか、恋愛作品を自分が書くなら的な作家の話でひっでぇ展開するやつが作品として載ってたななんだっけ。
女がとある男の自分を見詰める目線に耐えられず、夫に訴えて出入り禁止にして貰ったらば、男はピアノ目当てであり、女がのちに送ってきた手紙を見てなんじゃこりゃあ!! と怒り狂ってるみたいなやつ、100%独り相撲で、男に対して貴方の視線が怖くて誘惑に負けそうでって手紙してしまったっていう。
芥川らしいちゃあらしいけど、菊池さんを思わす編集が逃げてたな。
この時点で作家としての捉えられ方も、時代も変わってるんだよな、要はこれは。


2月4日めも。


前から気になってたんだけど、大正時代のベストセラーを参照して語られていた本の中で大正10年くらいだったかな? 久米さんの本と松岡さんの本が並んでるんだよね、なしてあなた方はそこに、としか言い様がなく。
久米さんは多分いつもの失恋題材の本で、松岡さんはこれはなんなんだろう、旅行記みたいなものだったか歴史題材だったか。
「10年ほど業界から身を引く」っていつからいつまでなのかしら松岡さん。
えーと、この二人は新思潮の第4次構成メンバー、世に出たのは久米、芥川、菊池の順番でいいのかあるいは菊池さんより松岡さんのが先なのかとかよくわかりません、ただ身を引くって言ってる時点ではもう一定の仕事はしていたみたい。
というか芥川の近辺には文士なんて大量にいて、誰がどの時点で雑誌掲載してるかとか作家で認められたとか個別で見ていかないと多分正確にはわからない。
同級生とか「不気味なほど文士が多い」とまで言われてたからな…。
第3次新思潮が一年上の先輩たちがメインなんだっけ、山本有三はそんなだよね(近衛文麿と同学年)。
山本有三さんてのは戯曲のほうに骨埋めた人です、なんかある時点から完全に第4次メンバーと同行するようになってったけど経緯は知らん、久米さんの悪行暴露文を漱石未亡人宛てに送った人でもありますねー、どうなったのマジあれ。

久米さんは多分純文学とは認められておらず、まあ通俗小説って単純に自伝的小説に言うのもさすがに酷いし、中間文学ってのが多分無難だと思うんだけどね。
ベストセラーに普通に入ってるとは知らなかった。


2月5日めも。


で、前日分雑記を踏まえ「その辺」をもうちょっと詳細に知りたいなってのが正直なところでもありますので、国文学とか詩の潮流だと駄目かもね!
大正時代に関しては「大正宗教小説の流行」って本で読んだのですが、そこで親鸞ブームだったかを触れてる時に並んでたのがこれで、純文学って括っていいものはないんだと思う、あと中間小説の人たちが多分このベストセラーに並んでて…。
菊池さんってどの程度売れてたんだろ? よくわからん正直。
いや、菊池さんてなんかアンタッチャブル領域らしくて、出版関係から読んでると触れてる人がいないというか、原稿料の話とかしてるとまず菊池寛を別格として、という感じで始まるのでもうよくわからない(原稿料自体もなんか独特なんだけどね)。
というかそもそも新聞なんかも部数を口外するのは厳禁だったらしいからなぁ、なんか、今の人だと大新聞(政治取り扱い)よりも小新聞(読み物中心)のほうが部数がずっと上だったってのは常識的に語られているんですが、当人が知っている時代が戦後から高度経済成長期くらいまでの新聞の本読んでたら、まあ明治時代なんかも触れてるわけですが普通にそこのこと全く知らんみたいだったからなぁ。
結構格差意識が強くて彼的には謎の展開があったようです。
あ、うん、売り上げ的には全く逆なのでそこは謎なんにもなかったよ☆

ああ、研究しないとそもそも明言したものがないわけか、とちょっと納得。
というか中間小説のお二方、賀川豊彦さんはすぐ出てくるんだよ島田清二郎だっけ、ええと、島田清次郎でした惜しかった、なんかは部数明言されてました10万部越えだっけ、いやぁ…きっと純文学霞んで見えない…(出版社立て直してたからね!!)。


2月6日めも。


というか、中間文学ってわりと呼びやすいんで使ってしまってるんですがあんまり一般的でなかったらごめんなさい、まあ実際ちゃんと語られてたところはあります、中間文学に関しては作家名さえわかれば普通にネットで確認出来るんでぽちぽち読んでいたんですが、なんだろうね、この人たちはどうも菊池さんの庇護を受けているらしい。
大衆文学でも、大衆文学と呼ばれる前の時代小説なんかでもそうなんですがやっぱり菊池さんの名前が出てくる、ただ、どういうニュアンスなのかわからない、もしかしたら私には全くわかっていないだけで菊池さんが出てくるというだけで文章が意味として完結してしている人たちがいるのかもと思えないでもない。

業界のトップっていうことがわかるのはえーと、昭和10年くらいからかな、もう他に全くいないってことがなんとなく察せられる文章書いてる。
昭和6年の『話の屑籠』が書かれ始めた頃は参加させて貰えない行事があったりして、必ず呼ばれるわけでもない、ただ、呼ばれていても違和感ない、トップクラス。
こういうのはいいんですよね、まあなんとなくわかる。
しかし、中間文学なんてのは大正時代中期くらいからの展開で、その彼らの庇護者となるからにはもう菊池さんが少なくとも彼らの登場以前から業界の中でかなりの力を持っていることが共通認識となっていないと自然には成り立たないよね。
で、むしろそっちなら事情が特筆されていてわかりやすかった可能性があるんだよな、けど、ごく順当な順列だったので多分それは目立たなかった、となる。
文藝春秋創刊の時点で大正12年かな。
さて菊池さんはいつどういう地位だったのかな、てのがわからない、わからない。


2月7日めも。


菊池さんのことを打ち込んでいます、芥川はなんかその辺にいます、大抵その辺にいます、もともと学生時代にはほとんど交流がなかったらしく、どうも菊池さんの外見コンプレックスが最高潮に達していたことと無関係ではなかったのかもな、ということを言っても多分叱られないような気がしている(結構明言してるのねその辺)。
いや、芥川のほうに避ける理由はなかったんだろうけど、基本的には他人が寄ってくるタイプの人なので、ただ、一高時代を書いた作品の中で「頭いい人間は気になる、倫理観はむしろよろしくないほうが楽」とか言ってるのが少し関係してる気がする。
というか、付き合い範囲が思い切り被ってるので、友人抜き出すとほぼ全員共通みたいな感じになるのでそれを知ったあとになると避けてるよね?! と言うのに躊躇いがなくなったみたいな順序です、どうもクラスの中でも目立つほうの集団らしい。
集団全員が完全につるんでるわけではないから避けられたけど、その芥川の親友の井川さんが菊池さんのこと結構好きでちょろちょろ寄ってくるからなぁ。
さすがにあの、同じ最年長組って意味で寄ってくるので避けはしないよね菊池さん、なんか芥川来た時点で去ってったみたいな描写もあったので、あるいは周囲はある程度気付いてたのかもねー(少なくとも井川さんは気付いてた)。

で、雑接続で、どっかの段階で普通に接近してどっかの時点で職場一緒になるように画策されたんだろうな芥川に。
ある程度の時期からはもう利便性て意味で一緒にいるのが違和感ないんだけどねー、どっちがどういう役割りを担っているんだかがよくわからんけど、とりあえずなんかが便利なことは周囲の評価でも薄っすらわかる感じ。


2月8日めも。


菊池さんに戻ります、なんというか、菊池さんのあれは正直『真珠夫人』の時点からとしていいのかそれともそれ以前のことなのかがわからず、まあ、一般的に知名度が出てきて宿屋の主人でも知ってて当然みたいなことになったのはそれ以降なのは間違いないんだけども、この作品はなんか評論的にはスルーされています。
一応通俗小説分類だからあるいはしなくてもいいのかもしれないんだけど、とにかく触れているのを今後見れるのかどうかがわからない。
ええと、評価されているという根拠は真珠夫人の連載中に新聞購読人数が20万人ほど増えたという案件です、東西合わせてだけど、念のために言いますが期間は約半年です、約全体購読数の5分の1です(連載直後に100万件突破したのでほぼほぼ正確に5分の1って感じ、12月26日終了ののちの翌年元旦に越えました)。
全国に講演会に行くことになったんで芥川がめっちゃ浮かれて呼びに来てました、どこに書いてあったんだかこれだけ思い出せないけど、どこだっけ…。
あれだ、井上ひさしさんの本だったかも、いや違ったか。
あのあれ、通俗小説の枠で書くことに奥さんがびっくりしてて、菊池さんもちょっと気まずくて黙ってたとかそういうのと一緒になってた気がする、あー、そうだ、菊池寛を読むだ思い出した。
いやこの本じゃないな、通俗小説と奥さんは確かいいんだけどえーと。

つか、漱石さん並みに書いたら単行本出すみたいなのが『無名作家の日記』以降ぽいんだよね、単行本出すのがかつかつみたいなこと言ってたのに急展開。
この辺多分芥川と並べたいんだけど、芥川のが扱い上よねー、察しは付く。


2月9日めも。


大正時代と菊池さんの話、あれなんだよね、大正9年にヒット作書いて(史上初じゃないかと思う、似た作品はあと『金色夜叉』くらいしかないみたいだし、あ、これは作品の中で示されてたのでまあまあ、通俗小説扱いされるの苦痛だったんだろうなー、というのの補足みたいな受け取ってる)、大正12年には文藝春秋作ってる。
ただ多分、その雑誌を作るだけの文士のツテみたいなものは多分ずっとあるんだよね、そういう子たちの受け皿として作ったって言ってたわけだし。
というかそもそも、文藝春秋てのが芥川系と菊池系とを集めて作ったって言われてまして、面子の細かい意味がわかると「あー」となるけど今の私だと説明出来ない。
もともと菊池さんの家が溜まり場だったのでそこを文藝春秋にしましたみたいな勢いらしいよくわからないけど、あと奥さん、奥さん大丈夫?!(引っ込み思案)

さて、いつから偉いのか、菊池さん、みたいなことになる。
芥川がせっせと画策してたんだからその時点で地位がないっていう認識でいいと思うんだよね、ただ、時事新報が文芸雑誌作ってその主幹に菊池さんがなったというのはどうもこう、芥川のツテ関係ない気がするんだよね。
しかしこの辺の話がどこで読めるんだかわからなくてね。
というか時事新報の上司の社会部部長は菊池さんのことを可愛がっていて、のちに日日新聞の文化部部長となるんですがなんでかな、あと、文藝春秋にも参加してくれています、名前しか書いてなかったけど、五大新聞の部長は流されるのか!! となりましたが、なんだろう、もうどう捉えていいのかよくわからない。
あと文藝春秋の文化系講師に秋声も参加してるんだけどなんの知り合い。


2月10日めも。


この辺のツテとか面子とかを語っていると「芥川と菊池さんは一緒くたにしたほうが楽」というのがなんとなく伝わってくれるといいんですけども、どっからどこまでが集団なんだかよくわからんのだよね…。
あ、文藝春秋の講師に久米さんと山本有三もいるんだけどね。
菊池さんと芥川と秋声と久米さんと山本有三、秋声なんの知り合いですか、なんか牛によると秋声の甥(実際には違うけど甥扱いされる親族)が漱石さんのところの弟子で、芥川と並んで葬式の時の受付してたらしいんだけど、それが本当にきっかけなのかどうかがよくわからないっていうか、なんでなんにも書いてないのこれ。
あと大正10年くらいには著作権関係の権利取得のために戯曲と作家でそれぞれ組合立ち上げてるんだよね、戯曲のほうは菊池さんがメインじゃないけども久米、菊池、山本有三、あと誰だっけ、久保田万太郎だったか、まあそんな感じです。
そろそろここの括り、身内って呼んでもいいんじゃないかな…。
作家のほうは菊池さんが立ち上げてのちに戯曲と作家を合体させてます、著作権が確立した段階でいらないんだけどねー、て戦時組織として解体再利用してたあれ。

いやなんか微妙に違うな、というか菊池さんと芥川に限らず、この辺の面子はまあまあ同一の集団って見ていいんじゃないかなって思ってるわけですが。
で、その中の二人がツートップというか、どうも得意領域が違うような気がしている、なにがどうなのかがまだ説明出来てないけどこれはなんとなく業界全体を調べないとわからない気もするんだなんとなく。
今の時点で私はなにを調べるって言ってる? 読んでてわかんないね?


2月11日めも。


ええとだから、そもそもこの「弟子」ともなんとも言っていない若手集団がほとんど年齢も変わらない相手を受け入れてって多分受け入れ媒体に限界が来て自分で作ったほうがいいんじゃないかなって作ったのが文藝春秋と見るのが妥当っぽいので。
ここに至るまでの経緯みたいなものを知りたいってことでいいのかしら…。
なんとなく純文学に限らない文芸雑誌ってのはぽつぽつ、と増えてましてその理由はよくわからないんだけど、あー、でも通俗小説で全国知名度を得た菊池さんの『真珠夫人』はもうすでにあるわけで、大正10年には『華火』という労働者ががっついて読んでる作品を連載しているので、なんというかそこで小説読むことに目覚めた層というのは多分それ以前と比べても馬鹿にならないほどいるのかな、というのはなんとなくわかり、こういう人たちが中間小説や各種ブームへと移行してったのかなー、という流れで捉えて大丈夫なのかしら、ただこれ、それ以前にも同種の展開はあるよね。
(それこそ漱石さんだって構造としては似てるわけだし。)
一番規模がでかかったのが菊池さんの件、て認識でいいのかしら、まあ、多分文藝春秋よりも早く中間小説の庇護者になってたりするので、そんなに問題はないような気もするんだけどどうなんだろう、ううん、自信はない。

一応全くつながってないわけでもないんだけど、全部ばらばらの資料なんだよねー、これ、いくつか逸話ぽいのが思い出せなかったけどほとんど別の場所からの切り貼りです、そしてどうにも自信ないところがぽちぽちと。
なんで菊池さんと芥川を切り離さないかというと文藝春秋やら集団の意味から変わっちゃいそうだったからですね、やっと言語化出来た気がするー。

(文アルとか近代芸術、108)