雑記:文アルとか近代芸術、107


1月23日めも。


リアルタイムは5月15日で、昨日までは2017年分の雑記を「40日分」ほど量産していました薄っすい内容のやつ、濃ければいいってもんでもないような気もするんだけども薄いほうがいいとかはさすがにないというか。
せめて自分が書きたいと思ってることは外さないほうがいいかなって気もしてるんだけどこういう量産体制みたいなものがすでに好きなところはもう性癖の一種としてしょうがないような気もしています。
利益も多分ないけど実害も特にないかなって。

繰り返してますが調べごとという趣味においてはわからないことをわからない状態にしたまま耐えて調べ続けることが必須となり、プロなら出来るのかもしれないんだけど、マニアなんかだとさすがに辛くなることがあり。
まあそのため、確認してないけども、みたいな前提で書き散らかすためみたいな目的で存在しているので本当に信じないで下さい。
あ、今、こういうこと読んでるのか、とか、それは自分も見たけどみたいな軽いスタンスで読み流すのに害があるほどのことは多分書いてないんだけど(趣味歴長いし)、鵜呑みにされると困るようなことはちょいちょいあります。
最近はどうかなー、三か月に一回程度の情報更新くらいかな。
前はそれでもこの雑記をチェックして「これ間違ってたー!」とか確認してあとの雑記で言及し直すみたいなことをしてはいたものの、間違えてた分はそもそも昔からそのままだし、今となるとほとんど読み返すこともしていないです。
だって混乱ぶりが酷いんだもの、みたいなスタンスですよろしくお願いします。


1月24日めも。


そういや【文豪とアルケミスト】の通称かっぱわにのぬいぐるみが発売になったのってこの辺の日付けだっけ、ということをなんとなく思い出しながら見ているのですが、今も家にいます、お出迎えまでさんざん気を揉み、家にお迎えしてからもあまりの布地の弱さに悶えるような日々です大切にしています今後夏用寝床を整えたい(溺愛)。
そうそう、金沢が雪に埋もれるような大雪が来たんだよね…びっくりした。
ゲーム公式からメンテナンス休みます! みたいな通知が来ていたものの、それでホワイト企業だなという称賛も若干ないでもなかったものの(ブラックではないと思う実際)、ポストが埋もれるような光景が普通に流れて来ていたのでホワイトというより「物には限度が」という案件だったんじゃないのかなあれ。
そんな中でかっぱわも発送予定なんだかどうなんだかよくわからない状態になってしまい、さすがに怒るのも違うような気もするんだけど、アナウンスすらあるのかないのかよくわからない状態は正直面倒ではありました。
アマゾンのホビー部門1位とか叩き出したことがある程度に売れていたので、情報にはあんまり困らなかったけどね! SNSとかしてないと実際困ったんじゃないかな。

いまだになにかよくわからないんですけどね、かっぱわに。
えーと確かエイプリルフール企画の図書館の壁新聞みたいなところに載っていたネタで、なんかそこからしばらくしたら可愛いぬいぐるみとして家具の中に実装されてしまい、こんなに可愛いのこんなに可愛いの?! とか言ってたらぬいぐるみ販売になってアマゾンのホビー部門1位で大雪で出荷がてんやわんやに。
盛りだくさんだなかっぱわに、何者なんだかっぱわに。


1月25日めも。


今(5月15日)に手元にある本が『日本の美術』というムック? 雑誌なのかな、まあそういうスタイルの「初期洋風画」というタイトルなんですが、これはもともと近代の画家が時々文化史の中に出てくるもので(なんで文化史を読んでいるかというと文学史があまり頼れないからです、ものによっては文化史しか参照していない本にも時々お目に掛かれます、文学史め…)。
まあ昔から読んでる薄い本くらい読んでみようかなみたいな。
このシリーズ結構レベル高いし、そのわりには比較的読みやすくて好きなんですよね、多分これ、ジャンル横断で読む人が多かったんじゃないかなー。
なんの趣味もないや歴史知識ない人にまで読みやすいとは思わないけど。
美術史はどのジャンルであってもそんじょそこらの人物興味の数十倍は知識が要求されるので、なんかしらの美術趣味だと多分問題なく読めるんだろうなー、とは思う。
というかどの美術史も比較的高い精度を維持してるのも、美術史横断の知識の蓄積があるからってのもあるのかもなぁ。

まあ、歴史人物好きを馬鹿にしているとかはないんですけどね。
とはいえ「好きな戦国武将がいない? それは本当の歴史好きとは言わないよ」と言われた時に私の趣味が古書で、世界各地の初期の書籍をチェックしてるような人間だったので今でもがっつり根に持っています。口伝理解出来ないからと叱られる筋合いねぇぞ。
説教スタイルってことはなにかと勘違いしてのかなー、と…はははは。
歴史好きって言った途端に源義経、沖田総司のルックスは良くなかったって知ってる? と言った男それぞれに残存資料を語ったら二度と話し掛けて来なかったけど。


1月26日めも。


なんかこう『日本の美術』の「初期洋風画」の話をしようとしたらそのままわりといつもの恨みごとに突入したんですが、文学史への恨みごとなら最近わりと結実して来てなんならなんで勘違いしたのかというところまで推測するようになったので、わりと普通に本文の中に入っており、あれだとまあそんなに意義は薄くないかなとは思うんですけども、なんか変、なんか変なことはわかってるけど言語化出来ない! みたいな段階では正直真面目に息苦しかったなー、とは今も覚えてる。
最近また、文学史以外の別の息苦しさに出会ってますが、まあ、あれが文学史の歪みの源泉みたいなものなんだろうな、なんとなくだけど。
これもまあ、まだ一つ二つってところなんで、じわじわ増えて来たらなんかしらまとまることもあるかなぁ。

ちょくちょく真面目な研究者の人にもいるんですけども、とにかく自分の好きなものは偉いという論法になりがちなんですけど、これも、あくまでもある程度評価を盛るくらいだったら基本的に問題はないかなと思うんだよね。
ただ、こないだ読んでいたやつなど、谷崎が軍部に睨まれていたことが横浜事件のきっかけだったのではないか! みたいな、え、なに、谷崎? なんで彼? 確かに風紀紊乱で発禁になったことは人より多いみたいだけど…。
確かに他の作家より目立ってたかもしれないけど、純文学の中では、だよね、大衆作家で酷い目に遭った人結構いるけど全部無視? 横浜事件って論文がきっかけとか複合案件とか、エース記者が従軍してたから文藝春秋は免れたってあれ? 純文学以外に世界は存在してないの?!! が、レベル高めの人なのはちょっと…。


1月27日めも。


愚痴ぽちぽちぽち。
基本的に純文学って現代ではどうも高尚なものとして扱われてるようなんですが、私の幼い頃って「そんなこともない」んだよね、なんでだろうかって考えるとなんか普通に与えられて読んでるからじゃないかと。
人数たくさん読んでるだけで違うわな、これ、となるんじゃないのかなぁ。
ただ、私たちに与えた上の世代がなにを考えて与えたのかっていうと、これは戦後すぐの生まれなので多分当人たちは高尚なもの、と信じて与えてたような気がするんだよね、読むと違うんだけど。
これって、ひょっとしてそれ以前の時代でも同じ構造だったんじゃないのかなー、と。
読まない世代、一部の限られた人のみが読んでる時代が来るとそのたびに「高尚」へと格上げされてるというか…。
この辺に関してはまあともかく、ただ実際のところ娯楽として普通に社会に影響与えてる間は、普通に評価の対象だよねぇ? レベルそのものはなにかと比べて相対的に高いとされることはあるものの評価することそのものが不遜みたいな発想はないよなぁ。
この不遜、てのはちょくちょく【文豪とアルケミスト】のゲーム関係見てるとあるんだけどね、ぶっちゃけ文豪ストレイドッグスでは見ない気がするこれ…。
(そもそもモデルにしてないからかね? わからんけど。)

で、この読まれない時代に発生する高尚の概念って、読まれない時代にも読まれてる作家には付随しないんじゃないのかなー、と。
下手すると純文学が衰退するたびに捻じれてった可能性が…、ううん。


1月28日めも。


愚痴もだいたい吐き出したので『日本の美術』の「初期洋風画」の話ですけども、えーと、明治時代に関して読むつもりで借りて来たらなんかあれ、戦国時代のことでした、なんかねー、キリスト教っていうかほらあの、イエスズ会が持ち込んできたんだけど(スペインで良かったよね、ピレネー山脈が本拠地なんだけどフランスかスペインかがちょくちょくわからなくなるというか、ポルトガルの場合はイエスズ会ではないって認識で良かったのかどうか)(本題)。
というか最初に適当に中をぺらぺらっと見てたらイコノクラスムへの反省から発達したマニエリスムみたいな内容になっていて、これは日本の本ではなかったのかな、と心配になった私はなんにも悪くないと思う。

イコノクラスムはまああんまりこの表記する必要はなくてイコンの破壊活動みたいな意味なんだけどね、ここでは主に宗教絵画の破壊みたいなやつ。
そもそもプロテスタントの宗教改革の流れがありまして、カソリックの国でもそれよりは穏当ながら改革、というか建て直しは存在し、その中で攻撃者たちの聖書に忠実ではないという文言による宗教絵画の破壊みたいな流れがあるんですが。
要するに宗教絵画って言っても単なる贅沢品だー、と言われたらそんな気まではするものの、壊す理由はよくわからない。ただ、人を吊るす代わりに絵画を壊しているのかもしれなかったら責めるのも違うのかなという程度ですかね。
宗教絡みのその他の迫害の歴史に関しては吐くくらい読んでます比喩じゃなくて、吐いたことある(歴史趣味になってからじゃなかったのでメンタル弱かった)。
で、えーと、マニエリスムに関しては以下次号。


1月29日めも。


『日本の美術』の「初期洋風画」に関しての話、続き。
マニエリスムってのはどうも規格化みたいな意味なのかな、絵画のモチーフごとに類型となるモデルみたいなものが存在し、要するに聖書から外れないようにしたものの、ぶっちゃけあっさり飽きられて衰退し。
ところが版画の登場と共に華々しく復活。
欧州の各地にぽちぽちといた日本人が見たのは多分ほとんどこれだよねー、みたいな、そこまで読んでからようやっとなんのためにキリスト教の展開をわりと長々と読まされたのかはわかったし、そういう観点だとちゃんとした内容だったんだけどもう少し早めにそのことがわかりやすくてして欲しかったです。
読みにくい文章ではないからいいんだけどね、というか、キリスト教も宗教改革も宗教美術もイコノクラスムも一応知識あったからいいんだけどさぁ。
そんなに標準装備の知識ではないような気もするんだよね、多分。
(このシリーズを手に取る人だと美術知識はあるほうが多いかもしれないけど、私はそれがむしろ弱かったかもなぁ、イコノクラスムはわりと読んでた、毎回なんのことかわからなかったけど美術観点で解説されると楽だなあれ?<聖書に忠実ではない)

というか、宗教美術を文字が読めない庶民向けー!! という言い訳で切り抜けたようです、まあなんというか、言い訳の気配はするけど、版画の時代に復活したということで名実共に理屈が整ったんならそれもそれで進歩なのかもなぁ。
まあ、そこまではわかりやすかったんですが日本に残ってるマニエリスムは画家の正体からまず類推してく感じでした、あー、うん、だよねー?


1月30日めも。


あと3日分くらい、まあまあ適当に。
美術史は遅々として進んでいないというか、なんかもう、本じゃなくて施設巡りとかしたほうが早いような気もするんだけどやっぱり研究に関してまで踏み込むにはなぁ、だいたい実物と解説とを交互に読んで行くのが早いかなと思うんですけどね。
ドツボには少なくとも嵌まりにくいというか。
さすがに私は小さなドツボはともかく、あんまりでかいのには引っ掛からないとは思うけどねー、あれ、これは単純になんの通史でもいいから頭に入ってるためであって、私でなくてもマニアだったら別に珍しくもないんだけどね。
他ジャンルでもなんでも役に立つのよ絶対年表。
年表だけが全てとは思わないけど、あるに越したことはない、実物も見るに越したことはない、優れた評価も欲しい、同時代の反応も欲しい。
近代においては比較的容易にそれが揃うのが楽しいとも言えなくもないし、怨念ががっつりそれぞれに残っててまだ解消されてない!! みたいな目に遭うことにもなるような感じです。はははは。
戦時中のあれとか見てると特に感じるけどなー。
人間に関しての記録って、わりと簡単に消せてしまうもんなんだね(記憶は消せないけど、記憶消せないうちに記録の修正を図らないとならないというか)。

美術史っていうかそういや横山大観て人がいるんですが有名だけど、こないだ見てたテレビで若い頃に描いてた美人画みたいな絵が若干芥川に似ててテンション上がりました、芥川に弟子になんないって言ってたって人なのよ! はははは(*´∀`*)


1月31日めも。


ところで今日、というか日付けを越えまして今5月16日になったんですが、あと2日分ほど書きたいなー、と思い、特になんにも思いつかないので「かっぱわに」の話でもしようかと思うんですが、わにって言われたらぎりぎりわかるんだけど口が短くて頭真ん丸だし、河童って言われたらどこにその要素があるのよ! てのがもっともなんだけど。
正直どうもこれ、江戸時代にキャラクタ化された妖怪の一つであって、どうももともとは河の神様程度の意味しかないみたいなことが言われてるところもあるんだよね、あれです、『西遊記』における沙悟浄。
これ、わりと有名だと思うけど河童じゃないってところまでは。
河伯とか深沙大将とかなんかブレるんだよね。
どうも、水で括られる存在だったらってことで置き換えられたみたいなんですが。
西遊記が入ってきた時点で属性による置き換えがまあ一般的だったんだよ、という言い方したらわかりやすいかな?
河の童って時点で、まあ超自然的な存在であって、キャラクタ化されてはいるものの原型があるものかないものか、ブレてて当然なので、なんというか水死人の姿してたりとかいや別の種族であって尻子玉取ってるんだー、とかいろいろ。
そんなに真面目に考えてもな、分析するんならもうどこがどうっていうブレそのものの分析するくらいしかなくないかな、というのが民俗学なんですけどね、いや最近の民俗学はそんな感じみたいです、三大民俗学者とか全員なんか違うけど気にするな。

まあそういう意味で、そんなに大した意味がなくても気にはならないです。
山椒魚じゃないかなって意見が一番真っ当だとは多分皆薄っすら思ってる。


2月1日めも。


とりあえずこれを書いたら一旦終わりでまた明日にでも「10日分」書こう、去年2017年分にするかとかこのまま2018年をなるべくリアル日付けに近づけていくかとかなにを書くかとかは全然決めてないけど!

そういや私、わりと昔から元ネタがあるような創作作品をずっとメインに据えて来ましてあのあれ、三国志とか国擬人化のヘタリアとか刀の擬人化のとうらぶとか、擬人化じゃないんだけどなんか近いスタンスの文アルとか。
調べすぎるのはよくない、という意見が私の目の前でちょくちょく飛び交っているのを見るんですが(私のことを意識してないということはないんじゃないのかな、多分、この手の創作周辺だとどの作品でも五本の指に入る程度にはいろいろ見るから)、どっちかというともともと「調べること」がメインであって作品が付随です。
なんか逆のほうが健全みたいに思ってる人が多いようなんですが、いや、私の目の前で調べすぎて囚われるのは駄目だった言ってた人多分多分50人くらいはいるので(まあ20年くらい同じスタイルなので、そう比率が高いわけでも)、ただ、私は本筋を見失ったとかそんなことではなく、これが趣味の本丸部分なので、出来ればもう少しそういう存在がいる可能性とか考える世の中であって欲しいかなぁと…。
だって正直、「見ればわかるのでは??」って思うし…。
なんというか、善意で諫めてくれている人も多少いたのではないかと思うんですが、1割ほどと見て5人くらいは。
20年くらい行動が変化していない、作品だけが変わっていくので3年目くらいで気付いてくれてるんじゃないですかね、多様性の一種でいいと思うんだよね、うん。

(文アルとか近代芸術、107)