雑記:文アルとか近代芸術、119


5月23日めも。


29日、30日分だけを先に書いて、あとからぽちぽちと打ち込んでいます、そういや文アルの有島さん来てくれたんで、もう良かったよ、今回は本気でこう、4000でひたすら回すか! という作戦だったんですけども途中で変えて、400で回して4時間越えが来たら栞ー(今回は銀の栞で来たよー、金の栞も2枚使ったけどな!)、みたいな方針でやってみたら上手くいきました。
4000だとなんかこう、わりとぽんぽん来るからな、4時間越え。
今後はこの方針で行こうかしら、それとも今までのようにあくまで一日二回の任務消化のペースを守ったほうがいいかなぁ、まあ適宜、うん適当に。

で、わりと安心して白樺イベントの『学問のススメ』の回想を見ていたんですが、なんかこう、あんまり内容がない気が、する。
上手く言えないんだけども今までの学ススってなんというかかつての自分の立場を比較的前面に出してくるような話が少なくないんだよね、いわゆる元ネタが中心で作られていたというか。
そういう意味では文士としての元ネタとしての情報が少ない。
今までは「影」の自分とも交流したりしていない、それがまあ、非常にあっさりと顔を突き合わせるし話も聞きだしているし、それに関して本の中の影が一体どういうことなのか、と考え込んでいたりもする。
今回は互いに自我があり、似てる、もしくは同一の存在だ、と語ったりする。
ただ、これって要するにかつての自分を特に違和感なく受け入れることが出来るってことなのかな、今のところ白樺だけがそれが可能ってことだと、面白くはあるよね?


5月24日めも。


この日付の頃には学ススの白樺篇をやってたよー、の話。
最初がなんだっけ、チーム北原一門で、この人たちは実際に弟子でも師匠でもないってわりと当人たちが認めてるんだよね、とはいえ、ぶっちゃけて住み込みの内弟子なんていう存在は時代と共に消えていくのであとの時代からすると十分に弟子としての条件を満たしているとも言えなくもないけど。
まあとにかく、実際には違うんだけど白秋さんが可愛い二人って言い切ってる。
で、なんか面白そうに学内を散策してるっていうそういうストーリー。
友人が学校好きじゃなかったからか、楽しそうだったなぁ、その辺は明言してるのかしら、犀星と朔ちゃんは。
まあそのベクトルは真逆なんだけどねー、ただ、言ってなくてもまあ想像は…朔ちゃんだと周囲に馴染めなくて死ぬ思いはするよね。
犀星の家はかなり特殊だったからそりゃ学校行きたかったろうな…。

このチーム…、そういや白秋さんはかなり社会的地位が高かった割りには学生なんだっけか、武者さんの時も違和感あったんですけども、よく考えたらあの時点でそうだっけ、そういや白秋さんってなんか腕章みたいなのしてた気がする、確認、いや確認しやすくなったんだっけ今見てくる。
腕章と、あ、気づかなかった金バッチもしてる?!
無頼派だとオダサクが学生服で、太宰と安吾がスーツで、なんだろうねこれって話してたんだよね、結構本格的に社会的地位っぽいな、残りの面子どうなるのかしら…あとどこが残ってるっけか。


5月25日めも。


学ススの、白樺篇「舞」をやってたよ、ところでこのサブタイトルなんですかね一体、あと、えーと、学ススって今回で3回目ってことで良かったんだっけ、あと、あ、自然主義の回が存在して、そこではこう、かつての自然主義らがそれ以前の文壇に対してどう振舞っていたのか、ということがキャラとのオーバーラップで語られていたんだっけ、そこでは学校は学校ではなく、世に認められる前の文壇の比喩になっていたのか。
というか、これってひょっとして完全に毎回違うんだ?
北原一門の時には学校は「かつての学校」以上の意味はほとんどなく。
自然主義の時には学校を舞台にしていてもそこは紅露時代の暗喩となっていて、なんとなくそれが影たちの会話からも察することが出来る。
かつてどう考えていたのかも現在の視点で再構成されている。

が、白樺篇になるともう完全に「学校」はその世界が独立したものであって、そこの影とも交流が出来るようにもなっている。
その上で、改めて共通の部分があるようだね、と互いに認識している。
他のキャラに関しては別のイベントで衣装が来ている、ということはわりとこう、今衣装があるキャラは学ススという舞台は用意されないのかな?
あるいは逆に、少しずつ文士たちが接触することによって存在が強くなってるのかなぁ、いや、そうでもないか、初期から生活してるっぽくはあったんだよな。
ただ、そうだとすると地味に垣間見える現実の年齢とは全く無関係の順列みたいなものは一体なんだろうね…。
武者さんが金バッチ付きで生徒会ってことは白秋さん、有島さんもそうなのかなぁ?


5月26日めも。


えーと、5月31日、あと3日分だけ文アルの学ススの白樺篇に触れたら寝ますー、いや別に内容がどうとかさっぱり考えてないけど、というか、「学校」ってこう、世に出ていない文士たちの成功していない文士の揺り籠の暗喩ってことでいいんだろうか、白秋さんやら武者さんなんかはどちらかというと庇護者としての関わり方っぽいんだよね、有島さんはそもそも外に職を持っていた。
(よく知らないんだけどね正直、編集者が学者として敬ってたからなー、まあそうなんだろうと思うそんなん嘘付いても仕方ないし、機会があって自然に出会ったら調べる方針なので調べてないことにはそんなに意味はないです。)
で、この三人が腕章だの金バッチだのをしている。
腕章ってのは風紀委員っぽいかなー、あと保健委員ってのもあるか(見てわかるようになっててなんらかの采配を振るう必要のある部署ね)。

で、自然主義たちは新聞部だっけ、金バッチかな? と今独歩さんを見直していて一瞬思ったけど、こっちは赤と金っぽいね、とするとこれが新聞部なのかなー。
まあ、記者だったのは確か独歩さんだけだった気がするけど。
新聞記者経験がある文士ってのも、少なくはないはずなんだけど、新聞社に属してた人までは覚えてないです記者として知られてたまあまあわかるけど。
あ、そういや菊池さんも記者やってたっけか社会部。
そうそう、二葉亭四迷さんもやってたね、朝日新聞の記者、何部なんだろうあれ、政治関係扱ってたような気がするけど(多分社会部ではないよー)。
うん、多分直接の関係はないな、独歩さんに引き摺られてるのかな、他は。


5月27日めも。


現在31日の2時くらいです、わりと正直眠い。
ええと、現在がゲーム開始日から576日で2016年の11月1日に始まったとのことなので1年7ヵ月くらい? くらいっていうかかなり正確にそんな長さっぽいんですけども数え間違えてなければ、いや手で数えたので。

で、学ススを真剣に考えると童話組が来る可能性ならあるのかな…、あの辺は三人揃って制服、制服、どうなんだ初等部みたいな?
ふと思い出したけど吉川さんどうなるんだろう一体。
あとあれだ、中島敦くん、一応認められてないってわけでもないのかそうでもないものか、ただこの人文士のコミュニティには全くいないんだよね、あー、いやでもそういう意味だと有島さんもその分類になるのかな。
いやただ、白樺には関わってるからなぁ。
白樺は一大コミュニティみたいなことになっているんだよね、ぶっちゃけ、純文学とも大衆文学とも認められてない人たちは菊池さんか白樺に身を寄せるか、最初からそこから出発してるみたいな様子なので。
まあ、認められようとあれこれ画策しているというところはあるので、学生服ってことになるのかなぁ、どうなんかなぁ、童話組たちはそもそもこう、名前残って良かったね的なレベルの、ジャンルの先駆者とそりが合わないと辛い的な。
なんというか、暗喩から考えるとわりと暗くなるので大人しく待って、来たら「そう来たかー」とだけ受け止めることにしよう、1年7ヵ月で学スス3回だし、そんなに頻繁には来ないだろう一回忘れてたりしないかな自信ないな!!


5月28日めも。


あと一日分で今2時19分です、さっき虫を潰したので手を洗いたい。
洗ってくればいいんだけどなにぶん5月の気候なのでだいぶ増えてましてあの。
そういや学ススに限らずこの文アルって大衆作家たちをどうするつもりなのかな、というのが前から地味に気になっているんですけども、あ、正史に組み込まれてる紅葉先生と露伴先生、菊池さんなんてのは別にいいです。
というかさすがに排除しきれなかったとも言うけど菊池さんは。
あと八雲さんもこれも便宜的にこっち入ってるだけだし、この人はいわゆる教授なのであんまり関係なく扱いはまあ容易に想像が付くんだけども。
時代作家代表格の吉川さんとか(日本で一番売れたシリーズじゃないかって、宮本武蔵、書く前から出版社が全く逆らえない風情の納税額第二位だったけどー)、探偵小説の代名詞だった乱歩さんとか。
なんかねー、「文豪」扱いじゃないんだと日本だと。
いや、通俗小説だの花柳界記事だのだったらいくら稼いでても省いてもいいんじゃないかと思うけど、欧米の分類だと大衆作家のこと「を」指すよね?
いやだって文章で財産を成した人って意味だし、大衆に膾炙した作家って意味だし、純文学みたいな「全員まとめて俺のほうが稼ぐけど」と菊池さんにぺろっと言われる存在以外を指さないってちょっと意味がわかりにくいんですが。

そんなことはどうでもいいんだけど期待してないから、ただ、どうするのかなって文アルさんは、まあ、出版社からは下にも置かれない風情で平伏されてるけどなんかの暗喩で学生にするというのもありだと思う上記の歪みは事実だ、さあ、どうするのかな?


5月29日めも。


どういうわけだかWikiのデータを編集していたところ、下から数日分が虫食いになりまして…それを修正していたらさらに2日分消されました心底ぞっとしてるんだけど、一体これはなんなんだろう…。
このWiki、なんか独特のルールがあるようで、修正を全く受け付けないとかよくあるんだよな…。
今、データを差し替えてやってるんですが、今後使い続けてて大丈夫なのかなぁ。
(名前を変えられないのとか、一旦作った記事を削除すると他所のページに残り続けるとかいろいろあります、修正の痕跡を残そうとしてるってことなのか、しかし管理者権限でもなんともならないんだよなこれが…。)
(もともとはデータ保存用に使おうと思っていたんだけど、不可能っぽいので今はもう完全に雑記のみになってます、一旦完成したデータを移す分にはそんなに困らないけど、何回も手を入れようとするとその段階で虫食いだのなんだの起こる、うう怖い。)

というか、日記的に毎日書いて更新というのも許されないというのがよくわかりました、これ、本気でどうしようかなぁ…。
毎回完全に取り出して丸っと入れ替えでなんとかなるものなのかしら。
そこまでして使い続ける意味があるのかというと、引っ越しが面倒なんですよね、他所から移るのは一瞬だったんだけどね、まあ、なんというか、無料だからな…。
その後、なんかしらの変更があったのかもしれませんがされていない可能性のほうが高いかなと思います、今後もただ雑記のためだけに使います。
もうちょっと精度高い情報とかどこでやろうかな…。


5月30日めも。


この日付は書いていたんですが、なに書いてたんだかさっぱり思い出せないので新しく書いています、ただ、それがきちんと受け付けてくれて更新出来るのかどうかとかはわりと未知数です。
元データをいつも手元に残さずにコピーしてしまっているんですが、手元に残したほうがどうにも良さそうなので…と言っても雑記ってそんなに残しておく価値があるものでもないからなぁ。
ここ数日分とかもうWikiの愚痴しか書いてないしね。
あと、このメモ帳も定期的に落ちるのでこっちがおかしくなって文章が消える可能性もあるんだよな、前の雑記に延々とその辺が載ってたりしますね。

この日付のところまで書いたら5月31日分がすでにあるのでそこではなんか少しアニメの話してるので、6月1日でその続きでも書けばいいのかとかそういうところから迷っています。
というか、この消され方をしたのが初めてなので正直なところ動揺しています。
なんで消されたのかも全くわからないからな。
長さで駄目になったのかと思ったけど、更新するたびにがりがりと文章の端からどんどん消されていったという点を考えるとどうも違いそうです。
なにそのリアル浸食って今ちょっと思ってる…。
ところで現在は6月7日の1時くらい、これ書いたら正直なところ寝たいです、こんな中身のないやつなんか書いてもなんの意味があるの! と真剣に思わないでもないんだけども、なんかこう、行きがかりというか気持ちが悪いというか。


5月31日めも。


なんか今Wikiに打ち込んだデータがざっくりと消されたところです、文字数なんかは多分問題ないと思うんだけど(普段もっと長いから)、なんでそんなことが起こったのかわからないんだけど、なんか謎の理由で怒り始めるところだから正直怖いな。
なんかの禁則文字でも使っちゃったんだろうかと思わないでもないものの、打ち込んでるのがただのメモ帳なので、そもそもそんなもの打たないしなぁ。
また消されると怖いので元データ残して一旦移すか。
いや、私の側がミスしたんだと思い込んで消しちゃったんだよね一回。

現在は6月7日、文アルでプロレタリア系のイベントをやっていて、とうらぶでなんだっけ玉集めをしていて、fgoはよくわからないです、結構頻繁にわからなくなる。
あとあれ、さっきまで動画サイトのGyaoさんのところで銀英伝のプロモーションみたいな番組と『東京喰種』のアニメの一番新しいシリーズのを見てました、というか、旧作2作がまとめて見れた時期があったのってこのシリーズのためだったのね。
あとあれ、ウテナを見終わったのでちまちまと書いていた分が消されたんだよなぁ、ううん、なんかの理由で文章消えることがあるんだけど、同じ題材が消されるみたいな嫌な感じなんだよね。
文アルの志賀さんなんかもそうで、表現を延々と変え続けていたら書けるようになったよ、みたいなことになりました、たまにあるんだ、あれはなんだろうね一体。
というかあれだ、アニメとかラノベってあんまり幼い頃には親しいものじゃなかったんだよね、みたいなこと書いてたんだよね。
多分、学友と共有してたのが文学だったからじゃないかと…変わったよな世相。


6月1日めも。


一旦書いた数日分が消されたので、急遽でっち上げているところです、の最終日、念のために普段よりも保存を多めに行っております。
そして実際のところ、愚痴が終わってしまうと特に書くことが思い浮かばなくなってしまったんですが、そういや最初に書いていた雑記だとラノベよりも論文のほうが年齢的に先に読めるようになったんだよね、的な。
なんか一人称の今のラノベ作品上手く読めなかったんですよね私。
中学校の時に読んでいたのが新・平家物語とか(吉川さんの)、山村美紗とかだったんで、その趣味の方向性はともかく、知能には多分問題なかったと思うんですが、あと、ジュブナイルふうの今のラノベよりも前の作品なんかだと読めるんだよね。
ラノベの中でも昔から読めた作品も多分一部あるかなと思います。
結局読めるようになったのが成人の辺りで、そうなるともう、なんかしらの理由で読んだ論文のほうが先っていう。
論文はあれ、周辺を5冊くらい読んでればそんなに難しいもんじゃないです。
ラノベが読めなかった人間が言って説得力あるかどうかはわからんけど。

というか私、特撮もアニメも自分の意思で見始めたのって成人近く、だいたい18歳を超えてからくらいなんですよね、漫画は読んでます、親が与えてきたので、ゲームもやってます、親が買ってくれたので。
ただ、特にクリアしたとかずっと読み続けたとか、あんまり記憶がなくて、その時点で揃ってたら満足というか、完結することに興味がなかったかも。
今も手間があるようなら別に、て感じですね、手間がなければ見るけど。

(文アルとか近代芸術、119)
最終更新:2018年06月17日 17:26