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ゲーム:刀剣乱舞、その13


5月14日めも。

わりとあっさりと検非違使5回撃破してしまったので(同レベル帯で6人集めて、だいたいレベル後半に達してると全然楽勝ぽいね)、6-2をぽちぽちとやっていたんですがうーん、太刀連れてかないほうがいいのか、橋渡ってやたらと刀装が増える時点で攻撃が通らなくなるので正しい選択だと思うんだけど自信ないなぁ。
なんだかんだと太刀で半分くらい倒せるので迷ってるってのもあるんだけどね。
一回外して脇差2打刀2短刀2で行ってみるべきか、それとも単に純粋にレベルが低いのか、一番高いのがいち兄と燭台切さんの81であと70台の最初とか真ん中くらいまでしかないんだよね、短刀が特にちょっと低いんですが。
短刀はさすがに5面には向かないから連れてってなかったからなぁ。
まあ一回試してからにするか、別に急ぎはしないんですが、さすがに何日もやってて一度もボスに到達しないってのはちょっと切なくなってきた。

今日『中世のかたち』っていう≪日本の中世≫の1巻を読んでいたんですが、えーと、あと3巻と6巻と7巻読めばいいかな? 時代順かなと思ったけどテーマごとっぽいですね、それぞれ職人と職能人と美の本なんですが、その辺だと室町時代がメインかなぁ、とは思うものの鎌倉時代にすでに萌芽があったらしいところ触れてないかな。
アイヌと「和人」の区分に付いての従来説への疑問、鎌倉における寺院の役割り、みたいな感じの内容だったんですが、ちょっと面白かったのが連雀商人に関してで、彼らがどうも市場の中心だったらしく特権や税徴収から逃れているらしい痕跡があるのに、地位が低いものとして扱われてるのはどういうことだみたいな。
で、連雀商人って豊臣秀吉の奥さんの弟もなのね? 一応下級武士だよな、びっくり。


5月15日めも。

そういえば現在はまず日本の中世の本(前は欧州の中世の本読んでたw)。
刀工関係の資料がないので、まあ大雑把に【薬研藤四郎】目当てよ!! 鎌倉時代に作られて室町から戦国時代との別れ目って言われてる辺りで逸話を得て、それ以来「藤四郎」そのものが高い人気を得て、織田信長と焼失って言われるとあれだよね、ピンポイントぶち抜いてくんな、とガチで思う。
それから日本刀の本をぽちぽちと、あと経済誌をちょっと去年の分をもそもそと読んでいるような感じなのですが、似たようなジャンルの本ばっかり続くと頭疲れるんだよね、ということで少し考えていたんですが。
とうらぶ始める前まで結構読み込んでた神道の本にしようかなー、と。
これも正直わりとマイナーめな神社に嵌まってしまったせいで(東京の府中市にある「大國魂神社」ってとこです、武蔵総社なのに滅多に本に出てこないよ☆)、なんていうのかな、総浚えするようなことになっていたんですが。
あれだね、ひょっとして僕ってそもそもそういう運命なんでしょうかね?
わりといろんなこと知ってるわりには、肝心の目当てのものに関して、いやそもそも、情報そのものがそんなにないから突き詰めるの無理じゃない、みたいなことになるというか、まあそんなことはいいんですが。

刀と神道だと関係深いと思うじゃん? よくそういう感じで語ってる人見るし。
でもその手の語りって神社とかの格とかそもそも存在してるのご存知ないっぽいよね、あと、大まかに神が二つに別れてることも多分あまり身近ではない。
そして神道側から語られる刀は三種の神器以上です、本当にありがとうございました!


5月16日めも。

『応仁記』(まあ応仁の乱の記録の中の一つのダイジェストみたいなやつ、細川家の縁者が書いたんじゃないかなー、みたいなこと言われてるらしいです)を借りて来て、今現在「足利義教」と「足利義政」という名前を見て、あ、やっべえ! 多分こいつらの認識が混ざっていた、ということが気になっています。
ええと、義教(よしのり)が日野富子の頼りない夫で、今なんか他に『籤引き将軍 足利義教』って本が手元にあるんですが、なんだっけかこの話、いまいち思い出せない。
足利義教は応仁の乱よりも前に死んでる、ということでいいのかなぁ、自信ない。

てことは、前に「畠山政長さん、そいつあんたの家を引っ掻き回した張本人だよ!!」と思っていたのは足利義政ですね? ごめん、本当に悪かった義政、言い掛かりだった、ぶっちゃけ足利義視(この人の係累なんだっけ忘れた!)みたいな意思は感じなかったからこの頃にはもうやる気なくしてたのかなと思ったんだけど、悪事には関わってなくて気付いたら戦乱に巻き込まれてた将軍なら受動的でも仕方ないよしょうがない…。
ところでこの義教(日野富子の夫)と義政は、足利将軍としては6代と8代みたいです、7代はどこに置いて来たの、私はなにを読み飛ばしたんだろう、いやあれか、わりととっとと死んだ後継者とやらみたいな話も聞いた気がするんだ。
あと、畠山政長氏の係累が間違えられてました、ええとね、確か畠山の家が分裂することになった養子じゃなくて、養子の跡継ぎの息子のその弟だったと思いますこの人。
もともと重要人物ではないのでそこまで気にされてないのか、たまに登場した時点で係累への言及が全くなかったり、「養子当人」と説明されていたりもしますが私は元気です、というか代替わりするほど長く家督争いする時点で意味わからんわ。


8月17日めも。

そういや日曜だったからえーと、ちょうどこの17日の日付けでいいのかな?(現在19日の日付け越えくらいですが)
焼失or消失(大雑把に言うと現時点所在不明)とされていた【燭台切光忠】がガチで見付かったとかで話題になってました、まあただ、もともと同じ蔵で戦災にあったとされていた刀が再刃されていたということは前から言われてまして、そもそもこの戦災に遭ったのではないか、というのも当時の資料から探し出した人がいたんだよねw
で、その後、どうにもならなくて破棄されたんじゃないのかな、と漠然と受け取られていたのではないかと思うんですが(時期が時期だし、そこまで把握されていなくても仕方ないよなぁ)、判明したよ、と言われて多分かなりの範囲でびっくりww
もともと蔵にある「どこになにがあるんだよん」という図の中に記録が残っていて、その辺がまとめて残されていたみたいですね。いや正直、どの黒焦げがどの刀かってことが判明してもそれほど特に意味がないというか…。

そもそも伊達に行った時点ではきちんと記録に残ってるらしいですが、信長時代なんて「長船光忠」が何振りあるのか不明っぽいよ? 時々このコレクションへの言及が出てくるんですが、見るたびに数が違う感じだし。
そもそも織田信長ってわざわざ全庫の記録なんか残したのかなー、という気もする。
豊臣秀吉も曖昧ですよね、おねさんが【三日月宗近】持ってるんですが、どっから来たんだよそれ、「天下五剣」を除いてもさすがに記録なくていいもんでもないだろww
そういや【厚藤四郎】なんかもそうだったけど、足利刀ってどっかの時点で散逸したのかなぁ、骨喰と薬研が奪われた事情よりも微妙に前後がわからないのよね。


5月18日めも。

現在19日の日付け越えなので嘘日付け度は低いです(いつもどうでもいい)、検非違使任務の一日ノルマ5戦めで【浦島虎徹】来ましたぁヾ(*´∀`*)ノ
で、よく考えたら先週の『月曜から夜ふかし』を見てた時に虎徹兄来たのよね。
あれだな、これで今後どうしようかを迷おうかなと思います。
結局、10倍キャンペーンだったかの期間中に2人来たことになるのかな?

あと前回も確か「あ、厚くん重傷になった」と思っていた記憶があるんですが、今回も厚くんが中傷でほぼ同じこと考えていたよね、でもやっぱり一歩も引かなかったので助かりました、ていうか軽傷の小狐丸のが後ろ下がってたよw
(槍に突かれた時は仕方ないのかなぁ? いろいろ仕様があるよね、とうらぶ。)
そういやよくよく考えてみたら、ウチってわりと初期から【厚藤四郎】を探していまして(なんでだっけ? 見た目が好きだったのか薬研くんの対キャラみたいに見えたからか、複合かも)、太刀を4本まで集めてからずーーーーーっと厚くんのためにレシピ回していたんですがその間にごろごろいろんな子が出ました。
さすがに「もう太刀いらないよ!!」となるまで短刀単体のレシピを回してはなかったものの、レア短刀が出る可能性があるとかで槍レシピなんかもいろいろ回してたのよね、ていうか小狐丸もその時期でしたよ、中間はもう厚が出る面と依頼札を使いまくってずーっと鍛刀をしまくり、みたいな、延々厚探し、みたいな日々でした。
んで、厚が出てもういいや、これで満足! となったら、そこから数日で残りが来ました、なんかもう、ウチが今【明石国行】さん以外がいるのはなんとなくそのせいな気もします、なんでこんなにガチなんだ物欲センサー!(欲しいもの来ない)


5月19日めも。

日本史リブレットの『中世のみちと都市』を読んでいたんですが、うーん、いまいちぼけてるかもこれ。ていうか本を読んでいて一番気になったのが「人々が一晩を明かせるほどの規模の橋」ですね、詳細教えてくれても良かったのに…。
到底そこまで立派とは言えないが、みたいな引き合いに出されてた、数枚の板渡した橋よりもむしろそっちの橋の話のほうが聞きたかったよ!!
何枚橋ということがどうもわりと認識されていたのではないか、ということが指摘されていて、二橋とか八橋などの地名が残る土地を主要街道だったのではないか、とルート仮定している、という試みをしていたんですが、面白いんじゃないかなぁ。
でも、これだけだとさすがに断続的すぎるんだよね、どう考えても。
正直この中で出てきた鎌倉までの道って要するに俗称「鎌倉街道」のことでしょ?
だったらすでに進んでいる研究のほうとその手法を合わせたらわかる部分もあるんじゃないのかなぁ、と思ってしまったんですが、ちょっと問題なのは地名を基準にする場合、どの時点での地名なのかがわかっていない点辺りかな。
でも、やって邪魔になるようなことでもないしねぇ、そういやこの本の中で源義経と弁慶が通った、とされている橋(橋として現存)とその逸話が語られていたんですが、なにを指しているんだか橋の専門家にもよくわからない。
ちょっと真剣に考え込んでいたものの、意味がわからないってことは、どっかで置き換わったにしてもむしろなんかの元ネタがあるんじゃないのかなぁ。

まあそもそも、道の本にしてからがだいぶ新しくて今まで見た中で2000年刊行本があったかなかったかみたいな感じなので、歴史って意外と新しい学問なのね。


5月20日めも。

すみませんまだ派手に間違えてたよ、ええと、籤引き将軍なのが6代の足利義教で(奥さん日野富子じゃなかった、日野重子だったマジすまん!!!)(側室らしいんだけどでも正妻も日野さんなんですけど意味わからん)、7代がなんか早死にしたこの6代の息子で、8代がその弟で足利義政で日野富子の夫ですね、ごめんね、ごめんね、日野富子しか覚えられなくてマジですみません。
今回『応仁記』を読むことによって細川氏が細川勝元であるということだけは覚えました、いや、畠山政長さんに対してわりとずっと味方していてくれたからね?
頭の悪い方法ですが、こうやって一人の人間をピックアップして歴史を見るってわりと有効なんだよ、あと動物園でも一匹を目で追うようにするといいって(ry

で、政長さんはなんか尾張守で名将の誉れ高く、畠山の養子の子らしいんだけど本来の息子(養子を貰ってから出来た実子)の子・義就よりも出来が良かったんだろうなぁこれw 山名も細川もがっつりと後見に入ってしまっていてどうにも動かせず、地位争いで戦いを仕掛けていたら猪武者っぷりに山名氏のほうが味方に付いてくれたってさ。
山名氏が誰かは覚えていないですマジすんません、単に個人的な理由です気にしないで、というかもとの記録である「応仁記」も細川寄りで書いてあるしな。
どうもそのせいで細川と山名が分裂してしまい、応仁の乱が長引いた、ということなのかなぁ、でも、山名&畠山義就の連合軍に畠山政長が攻められた時に細川勝元がなんか援軍出してくんなかったので(矢尻渡したってなに??)、政長は周囲の敵の死体集めて自分の屋敷を焼き払って撤退、おかげで一時死んだと思われていたらしいです。
細川氏がめっちゃ見捨てたあああ!! と京都民衆から陰口られてた、わかるぅ。


5月21日めも。

今応仁の乱前後の足利廻りの年表を見ているんですが、正直申し上げて畠山政長が自害したのちに【薬研藤四郎】が足利家のものになった理由がよく…わからない、ぶっちゃければ彼の死によって彼が味方していた足利義視-義稙のラインが敗北に確定したんだと思うんですが、これによって征夷大将軍位が別の系統に移ってる。
こっからあとの足利将軍は要するに敵対方の系統の血統と言えなくもない。
(ただそれも、直接争っていたのとは系統が別なので単に担がれた感じ?)
どういうタイミングで足利刀になったの? てのがわからんこれ。
なんというのか少なくとも自然な展開ではないよなぁ、この場合。
薬研藤四郎が足利刀だったことは史実扱いでいいはずなんだけど、どこで引き取られたのかみたいな話はさすがに残ってるかどうかなぁ、推測くらいはあるかしら。

まあただ、思ったより政長氏の人気がガチっぽかったんで(彼の人気がどうもいろんな事態を引き起こしたと言えなくもないのかも)、ある程度の慰撫のために引き取られててもそんなに不思議はないんだけどね。
とはいえ、なんか別の家臣に与えられるか預けられて、別の寺かなんかにあったよ、てのも、そんなに代が離れてるわけでもないのでその辺の事情だったのかしら。とはいえ、足利初代将軍の尊氏の腰にあったという魔剣の【骨喰藤四郎】も同じ場所にあったらしいので、無碍にしたとかそういう意味でもないのか、これもわからん。
ええと、この政長敗北の時の足利11代将軍の義澄の孫が「三好三人衆と政長弾正に殺された」という13代将軍の義輝。この辺の年表とか家系図とか残しておこうかなぁ、と思うんですが、さてどうデータ化しようかな…。


5月22日めも。

本当にありがとうございました、ぽちぽちと『応仁記』の年表打ってたら(打ち終わったよー、ていうかこの定期的に起こる暗殺なんね?)、足利11代将軍・義稙が追われ、足利10代将軍・義材が復権しておりました、まだ間違えてました。
ええ、この人が足利義視の子なので、畠山政長と結び付いていた人です。
前日21日分のところでぶつぶつ言ってたの、完全オールクリアです意味なかった!!
そういやなんかそういう文書読んでたような気が、します。
もうちょっと落ち着いてからまとめろよ!? という気がさすがにひしひしとしています、ていうかこう、見ても見ても覚えられないこの感じががが。
やっとある程度は理解出来るようになったかなぁ、と思った端からの間違いです、間違えたらちゃんとその後の資料でそのことに気付けるという意識はあるんだけど、こんなに大きなところで間違いたいわけじゃないんだもっと小さいもののつもりなんだ。
だがしかし、直すとなんかに負けた気がするので直さないです。
ケアレスミスっぽいのはこっそり直ってます、だって得るものすらないもん!

だがしかし、このあとの12代将軍は上の義澄の血統ではあるんだよね。
さすがにそうでないと勘違いはしないし、じゃあこのあとで和解するってことになるのかなぁ、どうも勢力図みたいなものがちゃんと頭に描けてない感じ(本をぐるぐる)。
まああれ、この辺の流れに関しては足利将軍の本でも読んでこようかなと思っています、全部で15代だからちょっと警戒してたんだけど、短い期間で結構くるくると変わってることが少なくないのでそんなに大変じゃないっぽいしな。
てか正直これ、政長さん死ななくても良かった感じ…?


5月23日めも。

ところで『古城の風景』の2巻を読み終わって、全体的に三河地方? でも三河ってなんね一体、と思って検索してみたらあれでした、松平氏ってのが主に「徳川氏の前身」という説明されているそうです、全然知らなかったです☆
徳川の分家のうちでわりと有力なところが松平を名乗ってる記憶はないでもない。
まあ、別にそういう知識がなくてもいいとは思ってます。
(特に私、戦国時代とか武将がどうのって本はつい最近読み始めたわけだし)(だから文化宗教政治に関しては基礎程度にはどの時代も押さえてます、鎌倉から室町辺りの職人全般とそれと連動させて商人もやりたいなー、とぽちぽち漁ってるよ、戦国武将は必要なところ以外読みたくないよ。)

でもさすがに、関係した本丸々1冊読んでたらもっと早く認識しててもいんじゃね? ということは思わないでもないです、というかそもそも徳川家康いたし。
なんか人質になってたとかなんとかでさらっと一瞬触れられただけだけど。
そしてつらつらと思い出してみるに、要するに徳川って特に三河のルーツに拘らなかったんだろうな、みたいな結論になりました。だってあれだろ、権力者さまの故郷とか普通もっといろいろ綺麗に整備されてるもんじゃん。
整備されていると資料がなんかうっさんくさい感じになるので良し悪しですが。
少なくともこの逸話はいつよ、誰よ、時期が合わんがな!! という状況見てるとどっちがいいか悪いかはわからないですね。
その辺がわかっただけでもまあいいか、戦国武将には興味ないんだけど、それぞれの地方の有力者は知りたいんだよ。別に天邪鬼でもないんですよ。

(ゲーム:刀剣乱舞、その13)