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*森村組(旧) 戦前、でいいのかな? 今でも森村グループっていう括りはあるみたいです。 この「組」って時々付いてるけど明治初期は単にカンパニーの訳語だったんだって(ノ´∀`;)マジか その後、会社って訳が出てきたものの、会社には法の認可が必要だし、逆に法とは無関係のニュアンスで残ったのかもね。 で、この森村組というのがなにかというと、大雑把に森村市左衛門(6代目)の…なんだろう。 あとの時代になると陶器に集約されていくんですが。 ええと、ううん、アメリカで成功した最初期もしくは最初の貿易商社、みたいな。 いや商社でもないんだよな、個人商店というか。 必要になると組織を大きくしていったみたいな感じなので形式はあんまり重要じゃない。 それ以前になにをしていたのかというと…正直者? とりあえず幼くして商人のお父さん(5代目市左衛門)を失い、豪快な方だったらしく借金塗れ。 借金返して立て直したものの、安政の大地震でさらっぴんにされ、幕末に数回の破産もしてたみたいですが。 よくわからない理論でわりとさくさくと生き返って来られます、気付くと藩に出入りしてたり政府に呼ばれてたり。 んーと、横浜港に行ってまず貿易に目覚め、唐物屋(外国商品の仲買みたいな)の草分けの身分で万延元年(1860年)にワシントンに「日米通商条約」の批准書交換のために派遣され。 どうして代々商人の家系の唐物屋さんが行くのかしらね?! てか、横浜港開港が1年前のことなのでその間にざくっとリーダーの身分になってるのねそもそも。 で、どうも通貨問題があるなー、と中津藩を通じて福沢諭吉氏に紹介されて相談してたらしいです。 交換比率が国内外で違うと貨幣流失するしなー、実際あったよね開国後。 どこからどういうふうに紹介されてるのかさっぱりわからないし、当人もわからないって言うし…。 先代の借金も、多分ですが恥じるところはビタ一文ないんじゃないかな、周囲の扱い見てるとなんか。 なんか土佐藩との関わりがあってよく江戸詰めの藩士が入り浸ってたって見たことあるな、大名にも金貸ししてたみたい。 どういう範囲の付き合いなんだか、ある日唐突につながりが出来るのでよくわからないのは血筋かな…。 なんか三菱の岩崎(土佐藩士)がねー、みたいなこと言ってたのそれでなのかしら? (川崎造船財閥の創業者が岩崎弥太郎に誘われていたものの結局逃げたみたいな証言してたよ。) **モリムラ・ブラザーズ 明治9年には日本で始めて商人の海外渡航という名目で仕立てられた「オーシャニック・グループ」の一員として弟をアメリカのNYに送り込み(これが福沢諭吉氏経由)。 森村弟の豊(ゆたか、アメリカではトヨ)はイーストマン・ビジネス・カレッジにて3ヶ月の促成栽培。 イーストマン・カレッジは今はもうないけど当時は流行ってたんだと。 なんかここの卒業者名簿とか一時結構すごい感じになってる、森村兄弟のお墨付きで福沢諭吉がどんどん送り込んだんだってさ、NYにももこもこ日本の商店増えてるしね。 ツテが出来る理由を「正直だからだと思う」と語っておられるのですが、アメリカのシティバンクとも日本系で唯一取引が出来たらしく、NYでの送金代行と代理大使館みたいな役にも当たってたみたいです。 大正11年だったかに横浜正金銀行のNY支店が出来て取り止めって言ってるし長いよなぁ結構。 そのままそこで「モリムラ・ブラザーズ」として小売で成功し、卸商に転身。 そのうちに食卓を飾るファンシーグッズではなく、本格的な陶器の食器セットが欲しいな、と森村弟からの指令があったのでまず日本にその技術がないので立ち上げから行われ、17年の歳月を掛けて「白生地」開発。 これがノリタケ・ブランドの元になったみたいです、この時期は日本陶器かな? まー、さすがに17年掛かったんでちまちま揉めたけどねー、しゃあないわ。 大倉孫兵衛が仕入れ、これがもと森村兄の義兄弟で、ええと大倉陶園はこの人の名前なのかな? 村井保固は慶応義塾の出身でなんか犬養毅や尾崎行雄と共に三羽烏って呼ばれた論客だったってww 確か商売やりたいって言ったら三井と三菱どっちがいい(*´∀`*)? と福沢諭吉さんに聞かれて、いやもうちょっと小さいとこ、と答えたら森村兄弟に要請されてた商業実務教育受けたってデマ付きで(村井さん悪くないww)森村弟がほとんど一人で頑張ってた時期にアメリカに売り飛ばされたんだよ、福沢さん絶妙に生徒の主旨無視ってるよ。 で、語学能力すらなかったのを独特の身振り手振りで切り抜けてったんだよね、いい度胸だよ(関係者)全員。 あと土佐藩士の陸軍騎兵少佐、広瀬実栄もなんか来たって。 森村兄・弟、大倉、村井、広瀬の5人が森村組の基盤になったそうです。変な集団だな?!(言うな) 軍人が浮くべきという気もするけど浮いてない。 そういや、森村兄、そもそも幕府の軍事顧問のフランス人デシャルムと知り合って武器のレクチャーを受け。 明治政府の会津討伐なんかにも板垣退助の兵站部として参加してたって、あれおかしいね、派閥変わってるね? 軍人は浮いてないけど森村兄はどっからどうやってその仕事に関わったの、土佐藩経由なのかなぁ。 ここからノリタケとかTOTOとかあとなんか忘れた、日本の上位陶器関係全部出てきました。 明治8年の時点で女子教育とか言い出してます。 財団法人は大正3年の森村豊明会が民間トップバッター、政府機関の共生会(明治44年)しか先行しておらず。 挙げ句の果てに名前のせいなのか森林保護活動の研究者に声掛けられてそっちに乗り出してたんですが。 (なんかよくわかんないけどいいことっぽい! みたいにご当人が言ってた!!) 読んだのが森村組を意識する前なので時期覚えてないけど亡くした弟さん(豊)と息子さん(明六)の慰めとか言ってるし6代目の頃なんだよね、大正8年に亡くなってるんですわこの方。 自然保護の概念って、多分まだ人類規模ではない…よね。確か戦後だったような。 ところで明治8年の段階で銀座に「テーラー・モリムラ」とか言ってるんだけどなに売ってんのこれ。 日本橋に本店と一緒に森村銀行を作ってたのも見てますし、別に慎ましいとかはないよね。 日本の商店はどうも江戸の名残りの賄賂付け届けの習慣が蔓延りすぎてて、なかなか欧米で通用しなかったので、誤魔化し一切しないこの方が先行して成功したところまではわかるんだけど、なら日本で浮くかっていうとそんなこともない。 むしろこの方が日本の規律みたいなものを一応曲りなりに引っ張ってってる節すらないでもない。 [[森村銀行>http://www46.atwiki.jp/aosasa/pages/33.html]]が変わってるのもこの出身母体のせいかなぁ。 でもなんか好き嫌い激しい方で時々きーきー言ってる…。 ただ、言われたほうが微妙にこう、受け流すみたいな傾向が…。 まああれだ、相手が人外生物だしな(そこまで言うと失礼です)。 結果もわからんけど行動原理もよくわからないよ、森村翁…。
*森村組(旧) 戦前、でいいのかな? 今でも森村グループっていう括りはあるみたいです。 この「組」って時々付いてるけど明治初期は単にカンパニーの訳語だったんだって(ノ´∀`;)マジか その後、会社って訳が出てきたものの、会社には法の認可が必要だし、逆に法とは無関係のニュアンスで残ったのかもね。 で、この森村組というのがなにかというと、大雑把に森村市左衛門(6代目)の…なんだろう。 あとの時代になると陶器に集約されていくんですが。 ええと、ううん、アメリカで成功した最初期もしくは最初の貿易商社、みたいな。 いや商社でもないんだよな、個人商店というか。 必要になると組織を大きくしていったみたいな感じなので形式はあんまり重要じゃない。 それ以前になにをしていたのかというと…正直者? とりあえず幼くして商人のお父さん(5代目市左衛門)を失い、豪快な方だったらしく借金塗れ。 借金返して立て直したものの、安政の大地震でさらっぴんにされ、幕末に数回の破産もしてたみたいですが。 よくわからない理論でわりとさくさくと生き返って来られます、気付くと藩に出入りしてたり政府に呼ばれてたり。 んーと、横浜港に行ってまず貿易に目覚め、唐物屋(外国商品の仲買みたいな)の草分けの身分で万延元年(1860年)にワシントンに「日米通商条約」の批准書交換のために派遣され。 どうして代々商人の家系の唐物屋さんが行くのかしらね?! てか、横浜港開港が1年前のことなのでその間にざくっとリーダーの身分になってるのねそもそも。 で、どうも通貨問題があるなー、と中津藩を通じて福沢諭吉氏に紹介されて相談してたらしいです。 交換比率が国内外で違うと貨幣流失するしなー、実際あったよね開国後。 どこからどういうふうに紹介されてるのかさっぱりわからないし、当人もわからないって言うし…。 先代の借金も、多分ですが恥じるところはビタ一文ないんじゃないかな、周囲の扱い見てるとなんか。 なんか土佐藩との関わりがあってよく江戸詰めの藩士が入り浸ってたって見たことあるな、大名にも金貸ししてたみたい。 どういう範囲の付き合いなんだか、ある日唐突につながりが出来るのでよくわからないのは血筋かな…。 なんか三菱の岩崎(土佐藩士)がねー、みたいなこと言ってたのそれでなのかしら? (川崎造船財閥の創業者が岩崎弥太郎に誘われていたものの結局逃げたみたいな証言してたよ。) **モリムラ・ブラザーズ 明治9年には日本で始めて商人の海外渡航という名目で仕立てられた「オーシャニック・グループ」の一員として弟をアメリカのNYに送り込み(これが福沢諭吉氏経由)。 森村弟の豊(ゆたか、アメリカではトヨ)はイーストマン・ビジネス・カレッジにて3ヶ月の促成栽培。 イーストマン・カレッジは今はもうないけど当時は流行ってたんだと。 なんかここの卒業者名簿とか一時結構すごい感じになってる、森村兄弟のお墨付きで福沢諭吉がどんどん送り込んだんだってさ、NYにももこもこ日本の商店増えてるしね。 ツテが出来る理由を「正直だからだと思う」と語っておられるのですが、アメリカのシティバンクとも日本系で唯一取引が出来たらしく、NYでの送金代行と代理大使館みたいな役にも当たってたみたいです。 大正11年だったかに横浜正金銀行のNY支店が出来て取り止めって言ってるし長いよなぁ結構。 そのままそこで「モリムラ・ブラザーズ」として小売で成功し、卸商に転身。 そのうちに食卓を飾るファンシーグッズではなく、本格的な陶器の食器セットが欲しいな、と森村弟からの指令があったのでまず日本にその技術がないので立ち上げから行われ、17年の歳月を掛けて「白生地」開発。 これがノリタケ・ブランドの元になったみたいです、この時期は日本陶器かな? まー、さすがに17年掛かったんでちまちま揉めたけどねー、しゃあないわ。 大倉孫兵衛が仕入れ、これが森村兄のもと義兄弟で、ええと大倉陶園はこの人の名前なのかな? 村井保固は慶応義塾の出身でなんか犬養毅や尾崎行雄と共に三羽烏って呼ばれた論客だったってww 確か商売やりたいって言ったら三井と三菱どっちがいい(*´∀`*)? と福沢諭吉さんに聞かれて、いやもうちょっと小さいとこ、と答えたら森村兄弟に要請されてた商業実務教育受けたってデマ付きで(村井さん悪くないww)森村弟がほとんど一人で頑張ってた時期にアメリカに売り飛ばされたんだよ、福沢さん絶妙に生徒の主旨無視ってるよ。 で、語学能力すらなかったのを独特の身振り手振りで切り抜けてったんだよね、いい度胸だよ(関係者)全員。 あと土佐藩士の陸軍騎兵少佐、広瀬実栄もなんか来たって。 森村兄・弟、大倉、村井、広瀬の5人が森村組の基盤になったそうです。変な集団だな?!(言うな) 軍人が浮くべきという気もするけど浮いてない。 そういや、森村兄、そもそも幕府の軍事顧問のフランス人デシャルムと知り合って武器のレクチャーを受け。 明治政府の会津討伐なんかにも板垣退助の兵站部として参加してたって、あれおかしいね、派閥変わってるね? 軍人は浮いてないけど森村兄はどっからどうやってその仕事に関わったの、土佐藩経由なのかなぁ。 ここからノリタケとかTOTOとかあとなんか忘れた、日本の上位陶器関係全部出てきました。 明治8年の時点で女子教育とか言い出してます。 財団法人は大正3年の森村豊明会が民間トップバッター、政府機関の共生会(明治44年)しか先行しておらず。 挙げ句の果てに名前のせいなのか森林保護活動の研究者に声掛けられてそっちに乗り出してたんですが。 (なんかよくわかんないけどいいことっぽい! みたいにご当人が言ってた!!) 読んだのが森村組を意識する前なので時期覚えてないけど亡くした弟さん(豊)と息子さん(明六)の慰めとか言ってるし6代目の頃なんだよね、大正8年に亡くなってるんですわこの方。 自然保護の概念って、多分まだ人類規模ではない…よね。確か戦後だったような。 ところで明治8年の段階で銀座に「テーラー・モリムラ」とか言ってるんだけどなに売ってんのこれ。 日本橋に本店と一緒に森村銀行を作ってたのも見てますし、別に慎ましいとかはないよね。 日本の商店はどうも江戸の名残りの賄賂付け届けの習慣が蔓延りすぎてて、なかなか欧米で通用しなかったので、誤魔化し一切しないこの方が先行して成功したところまではわかるんだけど、なら日本で浮くかっていうとそんなこともない。 むしろこの方が日本の規律みたいなものを一応曲りなりに引っ張ってってる節すらないでもない。 [[森村銀行>http://www46.atwiki.jp/aosasa/pages/33.html]]が変わってるのもこの出身母体のせいかなぁ。 でもなんか好き嫌い激しい方で時々きーきー言ってる…。 ただ、言われたほうが微妙にこう、受け流すみたいな傾向が…。 まああれだ、相手が人外生物だしな(そこまで言うと失礼です)。 結果もわからんけど行動原理もよくわからないよ、森村翁…。

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