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*維新公債(明治) という呼び名を拝借してきたんですがこの呼び方でいいんだろうか…。 大雑把に明治22年までに発行された明治政府による公債が10種類とのことで記録しておきます。 (外債はちょっと心当たりあるけど整理公債ってなんじゃらほい? この10種類とは別になってる。) 藩債整理公債新・旧、秩禄、金禄、旧神官配当禄、金札引換、金札引換無記名。 ここまでが動乱の直接の処理のため。 で、上とちょっと違う性質のものが起業、中山道鉄道、海軍。 この起業公債と中山道鉄道公債はどうも国内のインフラ整備として使われたみたいです、起業公債の足りない分を中山道鉄道公債で補ったっぽい。<[[起業公債事業>http://www46.atwiki.jp/aosasa/pages/70.html]] 海軍公債もあるいは同じ性質なのかもなぁ、横須賀線がなんか違う感じに作られてた記憶あるし。 (ここに横須賀鎮台っていう初期の軍事拠点の一つがあって他の路線とは全く違うタイミングで作ってたんだよね、今後確認するつもりなので信じないでね。) てか、金禄の文字ぽちぽち間違えてたやっべぇww 秩禄公債と金禄公債は武士階級の解体のために作られた一時金制度のようです。 要するに秩禄ってのが江戸時代の士族&華族への家禄(支配する土地を持つ権利や世襲の給料を貰う権利みたいなやつ、給料は米で支給)と維新功労者への褒章を合わせたもの、なんだって。 て、この時点で戦争の後処理っぽい概念だなぁw 秩禄公債(明治6年)と金禄公債(明治9年)がどう違うものかずっとわからなかったんですが、ああ、秩禄公債は家禄の返還をした士族に支給されてて、金禄公債が全ての士族に強制的に奉還させたものへの保障だったんですね。 (士族の定義はいろいろあると思うけど、まあ土地or給料貰う権利だから有価証券と引き換えになるよな。) 旧神官配当禄(明治11年)と共に要するに失業&退職手当みたいなものと表現されていましたが。 藩債整理公債が明治6年3月、新旧合計2339万円。 金札(太政官札)引換公債、666万9000円。 秩禄公債が明治7年11月、1932万6000円。 金禄公債が明治9年8月、1億7381万円。 新・旧公債は各藩の財政を引き継ぎのために発行したもので明治以前の負債が旧、明治以降が新だってさ。 太政官札ってのは慶応4年から明治2年までに発行されていた不換紙幣ですね、あんまり質が良くなくて、明治2年の通称・ゲルマン紙幣(明治通宝、ドイツで刷って貰ったようです、ちょっと耐久性弱め)まで安定しなかったんじゃなかったっけ。 この中でどうも、金禄公債が最大のものだったようですね。 まあ士族身分の一斉開放だもんなぁ。 (秩禄公債とは全く人数や桁が違ったみたいだし。) どうも秩禄公債の時点でだいぶ値崩れしたり身を持ち崩すなんてことになっていたので、そのためにいくつか制限付けていたようですが。説明されているのを読む限りでは政治の問題というよりは、経済or金融的事情って感じ。 国立銀行の資本金の払い込みに使われたってのはわりとあちこちで聞くよね。 あと外債が明治3年に九分利付外国公債。 これは鉄道史では最初期のエピソードとして有名な英人ネルソン・レーが勝手に公債にしてしまったという鉄道敷設目的のものです。 (秘密裏に資金調達してくれる、という名目で高利を受け入れていたんですが、公債にするのならば直接やったほうがいい、ということで話が拗れました)(一応レーには個人資産家の心当たりはあったみたい。) 同じく英国のオリエンタル銀行が間に入ってレーとの契約は破棄してくれたよー、公債は続行。 明治6年に七分利付外国公債、両方ともロンドンにて募集発行されましたが。 どうもこちらは秩禄公債のための資金集めで「用途がよくわからん」とあちらの経済誌で言われてたそうです。 鉄道資金の時もなぁ、鉄道ならなんとかって話だけど流用しようって腹だったみたいだしなぁ。 てか、変な山師に引っ掛かったって言われてましたが(約束は破られたけど犯罪ってほどでもない)、もともと付き合いのあったオリエンタル銀行を通した借款だとそんな使い方するのは無理だったって判断してた可能性もあるのかも…。
*維新公債(明治) という呼び名を拝借してきたんですがこの呼び方でいいんだろうか…。 大雑把に明治22年までに発行された明治政府による公債が10種類とのことで記録しておきます。 (外債はちょっと心当たりあるけど整理公債ってなんじゃらほい? この10種類とは別になってる。) 藩債整理公債新・旧、秩禄、金禄、旧神官配当禄、金札引換、金札引換無記名。 ここまでが動乱の直接の処理のため。 藩債整理公債が明治6年3月、新旧合計2339万円。 金札(太政官札)引換公債、666万9000円。 秩禄公債が明治7年11月、1932万6000円。 金禄公債が明治9年8月、1億7381万円。 この中でこの辺が発行額が多かったらしくて、民間銀行が関わることもあったようです(ていうか安田財閥の本で見たんだけどねこの詳細)。 で、上とちょっと違う性質のものが起業、中山道鉄道、海軍。 この起業公債と中山道鉄道公債はどうも国内のインフラ整備として使われたみたいです、起業公債の足りない分を中山道鉄道公債で補ったっぽい。<[[起業公債事業>http://www46.atwiki.jp/aosasa/pages/70.html]] 海軍公債もあるいは同じ性質なのかもなぁ、横須賀線がなんか違う感じに作られてた記憶あるし。 (ここに横須賀鎮台っていう初期の軍事拠点の一つがあって他の路線とは全く違うタイミングで作ってたんだよね、今後確認するつもりなので信じないでね。) てか、金禄の文字ぽちぽち間違えてたやっべぇww 秩禄公債と金禄公債は武士階級の解体のために作られた一時金制度のようです。 要するに秩禄ってのが江戸時代の士族&華族への家禄(支配する土地を持つ権利や世襲の給料を貰う権利みたいなやつ、給料は米で支給)と維新功労者への褒章を合わせたもの、なんだって。 て、この時点で戦争の後処理っぽい概念だなぁw 秩禄公債(明治6年)と金禄公債(明治9年)がどう違うものかずっとわからなかったんですが、ああ、秩禄公債は家禄の返還をした士族に支給されてて、金禄公債が全ての士族に強制的に奉還させたものへの保障だったんですね。 (士族の定義はいろいろあると思うけど、まあ土地or給料貰う権利だから有価証券と引き換えになるよな。) 旧神官配当禄(明治11年)と共に要するに失業&退職手当みたいなものと表現されていましたが。 新・旧公債は各藩の財政を引き継ぎのために発行したもので明治以前の負債が旧、明治以降が新だってさ。 太政官札ってのは慶応4年から明治2年までに発行されていた不換紙幣ですね、あんまり質が良くなくて、明治2年の通称・ゲルマン紙幣(明治通宝、ドイツで刷って貰ったようです、ちょっと耐久性弱め)まで安定しなかったんじゃなかったっけ。 この中でどうも、金禄公債が最大のものだったようですね。 まあ士族身分の一斉開放だもんなぁ。 (秩禄公債とは全く人数や桁が違ったみたいだし。) どうも秩禄公債の時点でだいぶ値崩れしたり身を持ち崩すなんてことになっていたので、そのためにいくつか制限付けていたようですが。説明されているのを読む限りでは政治の問題というよりは、経済or金融的事情って感じ。 国立銀行の資本金の払い込みに使われたってのはわりとあちこちで聞くよね。 あと外債が明治3年に九分利付外国公債。 これは鉄道史では最初期のエピソードとして有名な英人ネルソン・レーが勝手に公債にしてしまったという鉄道敷設目的のものです。 (秘密裏に資金調達してくれる、という名目で高利を受け入れていたんですが、公債にするのならば直接やったほうがいい、ということで話が拗れました)(一応レーには個人資産家の心当たりはあったみたい。) 同じく英国のオリエンタル銀行が間に入ってレーとの契約は破棄してくれたよー、公債は続行。 明治6年に七分利付外国公債、両方ともロンドンにて募集発行されましたが。 どうもこちらは秩禄公債のための資金集めで「用途がよくわからん」とあちらの経済誌で言われてたそうです。 鉄道資金の時もなぁ、鉄道ならなんとかって話だけど流用しようって腹だったみたいだしなぁ。 てか、変な山師に引っ掛かったって言われてましたが(約束は破られたけど犯罪ってほどでもない)、もともと付き合いのあったオリエンタル銀行を通した借款だとそんな使い方するのは無理だったって判断してた可能性もあるのかも…。

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