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*大國魂神社(武蔵府中) かつて武蔵国の国府と一緒になってた神社。律令制の頃ですね。 最寄りは京王線府中駅、駅から出るともう参道。 (参道っていうか、なんか変わってるけどちょっと。) 歴史地位、格からしてかなり他とかけ離れているはずなものの後述する様々な理由でわりと知名度はそこそこ。 東京競馬場が近くにありますが、もともと馬の市があったり馬の祭事があった関係で呼んだらしいです。 大型イベント日には駐車場を貸して下さるそうです。 最初に聞いた時には現代だと仕方ないよねー、と思ったけど、その後「多分そういうことじゃないや」と思い直すに至った。 参道のところにパチンコ屋とファーストフードがあって、えー、と思ったけど以下同文。 ちなみにこの参道、両脇はボランティアスタッフががっつり管理する無料駐輪場です、一分の隙もなくぴっちり止まってます。人間の通るところが車道よりもあからさまに広い不思議な空間になってます。 ヒエラルキーがケヤキ>人間>車、ですねどうも。 おいおい読んでくと多分意味わかると思う。 江戸の頃には「六所明神」って呼ばれていたらしい。 一応、祭神が大国主さんってことになってるものの、そう扱われてる文献がない。 (というか大国主と同一視された時期が明確にわかってるらしいので、まあそれは無理もない。) 境内にどうもそのことに関する文章がなく、唯一あったのが「ご友人の八幡さまが戻ってこなかったので待つの嫌い、松も嫌い!!!」というものだけだった。八幡さまって誰やねん(八幡神社は祭神が名前違うし、複数だし曖昧だし)。 日本の著名な神域には必ず松がある、松って寿命短いし世話しねーと大変なんだわ最近枯れててなー、というキノコの専門家の本を読んで首を傾げる。 ちなみに樹木の中で一番最後に現れたのが松族らしい。 初期の樹木ほど寿命が長く、生態としてはシンプル(要するに生命力が強い)。 最古グループとして挙げられていた中にケヤキの存在が。 鎌倉時代にここの神社にケヤキを植えた源氏がいたらしく、大國魂さま超気に入ったっぽい。 今もすくすくと伸びてます。 京王線が昭和の頃くらいに参道に鉄道通すってケヤキ切ったらすっげー怒られた。 今も高架の下のところに【自然を大事にしような!!!】という標識があって、どう見てもまだ怒ってる。 ケヤキさえ無事なら細かいことは気にしないのか、参道は今は1車線道路になってます、京王バスがひーこら言いながら通ってるけどどう見てもケヤキのせいで道路幅が微妙に違う。 なんでこんなに独特の価値観を平然と持ってるのかわからないけど、高尾山にも「松だめ」とかあってほえー、となる。 あちらは杉です。 あ、あと代官が江戸の頃に徳川幕府に「街道沿いに松植えます?」と聞いたら「松は止めれ」と言われてるわ。 関東固有の事情なのかしらこれ、松は育ち早いし、寿命短いっても人間の寿命よりは長いし、街路樹としてはそこまで不都合ないとは思うんだけどね。どういうところに伝わってたんだろ?? **武蔵国府その他もろもろ 武蔵国府ってのが大國魂神社の近くにあったことはわかってはいたものの「ごめん、どこかは忘れて…」とか言い出す。 くらやみ祭の中で寄らないとならないお家は覚えてるものの「用件思い出せねぇ」とか言い出す。 よくよく読んでたら本殿とかその辺が空襲で焼けてた、どうりでやたら綺麗だと…ていうかあんまり拘ってるように見えない。絶対ケヤキのほうが大事だここ。 日露戦争勝利おっめでとー、みたいなでっけぇ石碑がある。 …説明が、見当たらない。いつの設置とか誰が置いたかとか?! 本殿に向かうまでの間に、女性の病気とかにいい感じの小さな神社がある。 こういうのって普通は裏とかに隠してあるイメージだったんだけど、真正面っすねマジで。 通り抜けオッケーらしくて「自転車は降りてねー」ってその辺に標識があって、買い物袋下げた方とか学生が通ってくわけですが、本殿前に東西通路があるのでそりゃそうだろうね。 手水が本殿の前にあって、給水が自動でした、大國魂さまハイカラっすね。 多分ここまで歩くまでの穢れとか…別にいいんだろうな気にしないんだろうな。 ていうか国府の本読んでたら他の国は基本的に寺とセットになってた。 なんでお前だけ神社やねん、ていうか位置関係から考えて神社がメインぽい。 あと、国府とセットだったはずの武蔵国分寺がいつ廃れたかすら皆思い出せない。 (と、思ったら新田義貞が鎌倉攻めの時に燃やしたんだって、あいつか!)(でも廃れたのは前っぽい。) ところで元国府と神社を挟んで反対側に府中市役所がちょこんとあったのは偶然なんですよね。 結局国府はケーキ屋さんの辺りだったんだよね、現在は真っ赤な柱に見立てたロールケーキ売ってるって。 前に京王さんとこのパンフレットに書いてあったのよ。 で、よくよく読んでたらそのケーキ屋さんの創業が明治元年で、「明治元年に洋菓子屋??? しかも府中で??」(鉄道が明治5年なのでそれよりも軽く古いぞマジで)と頭の中に疑問符がいっぱいになってたんだけど、あれこれ検索してたら店の説明の中に「和菓子屋だったと、思うんだけどね?」みたいなことが書いてあってどっかで変えたのだろうけどやっぱり覚えてないらしい。 ひょっとしてこの地域のお国柄なのか…。 そういや西暦111年創建なのでさすがにリアルに古すぎんだろ、と言われてるのでまあ控えめにするのはわかるものの、前に「千年越えの由緒ある」とオフィシャル系のところで説明されていてびびる。 盛れとは言わないけど武蔵国府以降は確実にあるのわかってんだろ奈良時代より前だぞ?!! というかどう考えても日本で始めての公道である「七道駅路」より古いと思うんだよ…位置動かせなかったとしか思えないし。 国府が東海道(古代)からも東山道からも遠いので一苦労してる。 そうだね、だいたい真ん中だね。 もともとは東山道所属だったものの、東海道が隆盛した頃に東海道所属になる。 国分寺が東山道までの道すがらみたいな位置にあるのでそのせいで廃れた気もしないでもない。 現在の“国分寺”の地名の意味です、府中もそれですね。廃れたけどいいのかしら…。 大國魂のタマが多摩川の名前の元って一回だけ見たんですが、本当でしょうか。 ところで六所ってのは六柱って意味らしく、6つの神社を集めたって意味じゃないみたいですよ? (神社がわらわら集まった総社ではあります、「面倒だから一まとめで便利」みたいな感じ。) 適当に作っちゃ駄目じゃん…。 この神社大好き(ノ´∀`*)
*大國魂神社(武蔵府中) かつて武蔵国の国府と一緒になってた神社。律令制の頃ですね。 最寄りは京王線府中駅、駅から出るともう参道。 (参道っていうか、なんか変わってるけどちょっと。) 歴史地位、格からしてかなり他とかけ離れているはずなものの後述する様々な理由でわりと知名度はそこそこ。 東京競馬場が近くにありますが、もともと馬の市があったり馬の祭事があった関係で呼んだらしいです。 大型イベント日には駐車場を貸して下さるそうです。 最初に聞いた時には現代だと仕方ないよねー、と思ったけど、その後「多分そういうことじゃないや」と思い直すに至った。 参道のところにパチンコ屋とファーストフードがあって、えー、と思ったけど以下同文。 ちなみにこの参道、両脇はボランティアスタッフががっつり管理する無料駐輪場です、一分の隙もなくぴっちり止まってます。人間の通るところが車道よりもあからさまに広い不思議な空間になってます。 ヒエラルキーがケヤキ>人間>車、ですねどうも。 おいおい読んでくと多分意味わかると思う。 江戸の頃には「六所明神」って呼ばれていたらしい。 一応、祭神が大国主さんってことになってるものの、そう扱われてる文献がない。 (というか大国主と同一視された時期が明確にわかってるらしいので、まあそれは無理もない。) 境内にどうもそのことに関する文章がなく、唯一あったのが「ご友人の八幡さまが戻ってこなかったので待つの嫌い、松も嫌い!!!」というものだけだった。八幡さまって誰やねん(八幡神社は祭神が名前違うし、複数だし曖昧だし)。 日本の著名な神域には必ず松がある、松って寿命短いし世話しねーと大変なんだわ最近枯れててなー、というキノコの専門家の本を読んで首を傾げる。 ちなみに樹木の中で一番最後に現れたのが松族らしい。 初期の樹木ほど寿命が長く、生態としてはシンプル(要するに生命力が強い)。 最古グループとして挙げられていた中にケヤキの存在が。 鎌倉時代にここの神社にケヤキを植えた源氏がいたらしく、大國魂さま超気に入ったっぽい。 今もすくすくと伸びてます。 京王線が昭和の頃くらいに参道に鉄道通すってケヤキ切ったらすっげー怒られた。 今も高架の下のところに【自然を大事にしような!!!】という標識があって、どう見てもまだ怒ってる。 ケヤキさえ無事なら細かいことは気にしないのか、参道は今は1車線道路になってます、京王バスがひーこら言いながら通ってるけどどう見てもケヤキのせいで道路幅が微妙に違う。 なんでこんなに独特の価値観を平然と持ってるのかわからないけど、高尾山にも「松だめ」とかあってほえー、となる。 あちらは杉です。 あ、あと代官が江戸の頃に徳川幕府に「街道沿いに松植えます?」と聞いたら「松は止めれ」と言われてるわ。 関東固有の事情なのかしらこれ、松は育ち早いし、寿命短いっても人間の寿命よりは長いし、街路樹としてはそこまで不都合ないとは思うんだけどね。どういうところに伝わってたんだろ?? **武蔵国府その他もろもろ 武蔵国府ってのが大國魂神社の近くにあったことはわかってはいたものの「ごめん、どこかは忘れて…」とか言い出す。 くらやみ祭の中で寄らないとならないお家は覚えてるものの「用件思い出せねぇ」とか言い出す。 よくよく読んでたら本殿とかその辺が空襲で焼けてた、どうりでやたら綺麗だと…ていうかあんまり拘ってるように見えない。絶対ケヤキのほうが大事だここ。 日露戦争勝利おっめでとー、みたいなでっけぇ石碑がある。 …説明が、見当たらない。いつの設置とか誰が置いたかとか?! 本殿に向かうまでの間に、女性の病気とかにいい感じの小さな神社がある。 こういうのって普通は裏とかに隠してあるイメージだったんだけど、真正面っすねマジで。 通り抜けオッケーらしくて「自転車は降りてねー」ってその辺に標識があって、買い物袋下げた方とか学生が通ってくわけですが、本殿前に東西通路があるのでそりゃそうだろうね。 手水が本殿の前にあって、給水が自動でした、大國魂さまハイカラっすね。 多分ここまで歩くまでの穢れとか…別にいいんだろうな気にしないんだろうな。 ていうか国府の本読んでたら他の国は基本的に寺とセットになってた。 なんでお前だけ神社やねん、ていうか古道との位置関係から考えて神社がメインぽい、真ん前。 あと、国府とセットだったはずの武蔵国分寺がいつ廃れたかすら皆思い出せない。 (と、思ったら新田義貞が鎌倉攻めの時に燃やしたんだって、あいつか!)(でも廃れたのは前っぽい。) ところで元国府と神社を挟んで反対側に府中市役所がちょこんとあったのは偶然なんですよね。 結局国府はケーキ屋さんの辺りだったんだよね、現在は真っ赤な柱に見立てたロールケーキ売ってるって。 前に京王さんとこのパンフレットに書いてあったのよ。 で、よくよく読んでたらそのケーキ屋さんの創業が明治元年で、「明治元年に洋菓子屋??? しかも府中で??」(鉄道が明治5年なのでそれよりも軽く古いぞマジで)と頭の中に疑問符がいっぱいになってたんだけど、あれこれ検索してたら店の説明の中に「和菓子屋だったと、思うんだけどね?」みたいなことが書いてあってどっかで変えたのだろうけどやっぱり覚えてないらしい。 ひょっとしてこの地域のお国柄なのか…。 そういや西暦111年創建なのでさすがにリアルに古すぎんだろ、と言われてるのでまあ控えめにするのはわかるものの、前に「千年越えの由緒ある」とオフィシャル系のところで説明されていてびびる。 盛れとは言わないけど武蔵国府以降は確実にあるのわかってんだろ奈良時代より前だぞ?!! というかどう考えても日本で始めての公道である「七道駅路」より古いと思うんだよ…位置動かせなかったとしか思えないし。 国府が東海道(古代)からも東山道からも遠いので一苦労してる。 そうだね、だいたい真ん中だね。 もともとは東山道所属だったものの、東海道が隆盛した頃に東海道所属になる。 国分寺が東山道までの道すがらみたいな位置にあるのでそのせいで廃れた気もしないでもない。 現在の“国分寺”の地名の意味です、府中もそれですね。廃れたけどいいのかしら…。 大國魂のタマが多摩川の名前の元って一回だけ見たんですが、本当でしょうか。 ところで六所ってのは六柱って意味らしく、6つの神社を集めたって意味じゃないみたいですよ? (神社がわらわら集まった総社ではあります、「面倒だから一まとめで便利」みたいな感じ。) 適当に作っちゃ駄目じゃん…。 この神社大好き(ノ´∀`*)

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