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*雑記:文アルとか近代芸術、126 ***8月1日めも。 ところでこないだ「明治14年政変」の話をしていたんですけども、なんかねー、このあとに新聞記者のレベルが上がったり小新聞がぼこぼこと乱立したり札幌農学校が潰れたりしたんですけどね。 えーとあれ、小新聞がぼこぼこ乱立したのはあれです、まだ雑誌ってのが一般的ではなくて、機関誌っていうと新聞らしいんですよ。 で、大新聞は月2万くらいの金額だそうです、さすがに現代価値で。 それで、要するに明治14年政変で「国会」の開設が約束されたんですよね、それでまあ、政党が作られ始めたんだかそれよりも前からあったんだったか記憶が薄いんだけど(議会より党派のほうが古いのはわりと一般的、まあ、確かに少なくとも会議やるって決まった時点では結成すべきよな)。 要するにまあ政治活動として選ばれたのが当時は唯一だった新聞。 読む人が限られる金額の大新聞ではなく、安価な庶民向けの読み物中心の小新聞スタイルとなりまして。 読者数を減らさないための読み物も継続されまして、それから徐々に中新聞というものが確立していったということのようです。 ところでわかりやすくはない。   そもそもこの政変、北海道の払い下げ事件が新聞にすっぱ抜かれまして、そのすっぱ抜いたとされた大隈重信を政界から追い払おうとしたら「ごっそり政界が半分くらい同時に辞めた」という感じの事件です、国会開設も大隈さんを辞職さす引き換えの約束です。 大隈さん悪くないけど黒幕呼ばわりされた理由はちょっとわかる。 ***8月2日めも。 前日の続き。 まあ北海道の払い下げ事件そのものは「まともな資本家に頼むため」であってそのくらいの色を付けないともう北海道そのものがやべえっていう見解で行われたことそのものはそんなに疑ってはいないものの(作ったものをただ同然で引き渡しみたいな、北海道開拓そのものの維持って意味では理解不能ではない)。 だがしかし、財界からはいくらなんでもやりすぎの無法地帯すぎて秩序が乱れるってんで反対が強く、大隈さんを責める人たちがいるのはなんか違うと思うんだよね。 というかそもそも新聞に彼が情報を流したっていう証拠なんにもないらしいんだよね、ならなんで疑われたかというと、大隈さんが新聞各社のパトロンをしていたからだそうです、なんかこう、財界人とか教育家との関係が深いっていうかなんかお金ちょうだいって言われて出してたみたいな感じの流れだったんだけどね。 そもそも贈賄事件を世間に知らしめたので政治の場から引き取らないとならないという展開からしてどうなのっていう気もしますが。 まあなんか当時はそれが正義で、たまに研究者も声高に唱えてるんだから私が悪いわけではないです、説明の順序が悪いのは認めるけど!   で、まあ、大隈さんを辞めさせるために国会を開く約束が行われ、明確に何年から、ということが決まり(やはり言い訳が立ちにくいから? というかどこがどうしてそうなったのか真面目にわからない)。 約半分ほどが一緒に辞職しました、「明治14年政変」と呼ばれてるんだけど、あの、揉め事はそんなにないのよ、結果がすざましいだけで。 ***8月3日めも。 明治14年政変のその3。 で、まあ、北海道の札幌農学校が潰れまして、これはなんかわかるね(北海道開拓にとっては二重に打撃だったんだろうしなぁ)、いわゆる降格みたいなことになっていたのかな、何年かのちに東北帝国大学の一部として復活するんだけどね。 そしてあと、政界にいた人たちが新聞各社に流れ込みました。 数年後のそれこそ国会開設の時点などで戻ってった人たちもいるし、結局新聞社に骨を埋めた人たちなんかもいますね。 大新聞の内容も充実したし、小新聞も乱立したし、みたいな感じ。 (揃って中新聞となる時代とはまだちょっと離れてるよ。) それとあと、この経緯だとぶっちゃけ無理もないとは思うけど、この時点で新聞と政治との関係はさして悪くないです、政治対立があるから新聞が敵視されたりすることもありますが、反体制ではなくあくまでも政治内部の話。 ただ正直なところ、江戸時代のかわら版なんかは完全に反体制なんだよね。 あと、海外新聞由来のところやその影響を受けていたりすることもあり、その場合はすでに進んだイギリスの「体制の監視者」の側面を持ってたりもするわけです。   それと、新聞の歴史の本を何冊読んでも、大隈重信と関係が深いことをして「体制と密着」という表現にしていた本はありませんでした、この人総理大臣にもなってるんですけども、なってるんですけども駄目っぽいです。 まああれ、この時点ではわりと程よい政府との関係を保っていたんじゃないでしょうか新聞、あと大隈さんってなんで全てにおいて徹底して山師扱いなの、嫌いじゃない。 ***8月4日めも。 んでまあ、ようやく文学に話が戻ってくるんですけども、政党と結びついた新聞は大変じゃないですか、読み物を独自性強くしないと人が呼べなくて。 そういうわけで「明治14年政変」ののちに、小新聞の乱立があり(これは中新聞)、各社いろんな読み物を載せましたよと。 この中に家庭小説や政治小説や探偵小説や歴史作品などがあったよ、みたいなことになるようです、詳細は実はよくわかってない、作品名はぽちぽち出てきます。   ここから遡る小新聞の前史としていわゆる江戸時代のかわら版に近い事件記事などの掲載や、講談にも近いのかな? 歴史事件などの連載もあったらしいんだけどね、「続き物」と呼ばれていたようです、なんというか人情味が強いというか、ゴシップ色が強いというか、内容が噂話てんこ盛りというか。 こういう記事を書き、その記事に掲載された人物の家の前で読み上げて売るので「読み売り」などと呼ばれたりもしたみたいなんですけどね、小新聞。 こういう案件に怒ってたのが逍遥さんですねー、最初からフィクションにしなさい! ってなことを言ってたらしい、さすがに年齢が若い気もするのでもうちょっとあとの話かもしれないんだけど、怒ってたのは要するにこの類の記事に対してです(やっぱりあとあとまでこの伝統も続いているしねー)。 この辺はどうもちょっと諸説あるぽい、国文学のなんかの先生かもなぁ。 なんかあるんです、噂話の主が別の名前で出てきたりとかたまに。 ああまあ、情報の整理がされていないだけかもしれないんだけどねー、単に。 時代は曖昧ながらこの辺の要素が絡まりつつ、近代小説の誕生となるぽい多分。 ***8月5日めも。 で、こっからが本題なのですが、政治小説ってのがどうも翻案の海外の歴史出来事や神話に現代の政治を仮託して語ったみたいな内容、実際あらすじ読みましたけどもなんというかまとまって読む感じではない感じです。 ただあの、分析と当時においてはどういう意味であるのかということを解説してあったらちょっと読みたいよなぁ、この辺はどうも数万部は売れたぽいです。 あ、はい、自然主義くらいまでの時代よりも余裕で部数が多い。 家庭小説なんかは内容がよくわからないんですが、菊池幽芳さんなんて人はかなりあとまで活躍していてだいたいあれ、菊池寛が登場した時に「菊池幽芳の本名??」とか言われたらしいですよ。 えーと、明治30年くらいまでは主流だったものの、その後、文壇の中心から否定されたみたいな感じで語られていたのは新派演劇に関しての文章でした、新派の演目はよくこの家庭小説から取られていたようです、まあ、そうだろうね。 私は無造作に家庭小説、政治小説、探偵小説と並べたものの、実際のところは時期が違うというか、もう潮流というより一つの新聞の成功とそうでもない案件みたいな感じらしいしなー。 探偵小説も翻案なんですけども、なんていうのかな、黒岩涙香さんのみが有名って印象じゃないかと思うものの、戯作者出身の他の記者たちにはどうも荷が重かったらしくて、そもこそこ長いこと独占市場だったようです。   が、正確には他にもいたけど人気で負けただけかもしんないしなー、その辺はなんというか、研究がない! みたいな感じです、いやあるかもしんない、探せない。 ***8月6日めも。 あれですね、本題というか、今の段階でここまではわかっている、ここからは混ざっていてよくわからないという境い目を書き出してみた感じなのですが。 なんかもうわかっていたり、ある程度は推測でそんなに問題はなさそうな内容の部分ですでになんか「近代文学史」と違うんだよね、食い違っているというか。   というかなんかもう、正史以外は存在してなかったみたいなことにされてるみたいなんだよね、なのでまあ、大衆文学としての時代小説がある日いきなり地から湧いて出たみたいなことになるというか、しかし多分純文学よりも早い、探偵小説も通俗小説も。 【文豪とアルケミスト】のゲーム分類とは違いますけども、まあ紅露時代はわりとれっきとした正史です。 ただなんかこう、のちの純文学とされている作家たちよりもどうもかなり露骨に売れ行きが違っていたような気配がある。 これ多分ですが、文学として正統だからじゃあないんだよね、インテリの評価が高かったから桁がちょいズレに売れたわけではなく、あれだ、なんらかの理由で他の作家たちの市場より広い層に売れたと考えるほうが良さそう。 そういうところまで考えて大衆文学として組み直したという認識でいいのかなぁ? 鴎外さんはその手の層にはコミットしてないよね、逍遥さんの翻訳はなにか別格に売れてたみたいだけどさすがにこの層はインテリ寄りかなぁ? 明治後期当時までに社会的に人間扱いされていた作家はこの四人で打ち止め。 にゃ、この辺は全て適当あてずっぽうです、ただ、叱られるほど粗雑でもないと思ってる、仮説としてはありうる範囲だよね、正解とは思ってない。 ***8月7日めも。 前日分の直接の続き。 「近代小説」が逍遥さんによって生まれてその系譜としてだけ紅露二者を捉えるんなら別に小新聞はやんなくてもいいんだよね、漢文教養のある年寄りインテリが彼らを支持したって理解も実際正しいとも思う。 しかし個人的にはまた同時に講談に近いものや家庭小説のメイン読者が垣根を乗り越えて読みに来ていたって考えるほうが私はしっくり来るんだよね。 そうしてあれ、文アルの解釈も多分だけどそっちのほうに近いかもしれない。 あくまで多分以上のことは言えないんだよなー、だって、その時代の細かい読者層の分析とかあるかどうか私にはわからないし、今見てる範囲だとなさそうな気もするんだよね、だから小新聞の読者分析みたいなもので近いところを見て行ったわけだし。   そうなるとあれ、なかなか言及が少ない領域に足を踏み入れることに、なるわけですが、ありがたいことながら最近たまーに政治小説のこと触れてる本があるんだよね。 どなたが初めてくれたのかわからないし、あるいは文学史においてはあまり一般的ではなくても風俗の本ではわりと昔から語られていたかもしれないしねー、なにしろ社会背景がややこしすぎて最近まで理解出来てなかったし、今も到底研究がどこにあるか把握出来てるとは言い難いしなかなかねー。 文学史にないことだけはまあはっきりしてるけど、はははは…。 しかしよく考えたら風俗研究もそんなに古いジャンルではなかった、ううん。 あとあれ、そもそもインテリたちの御用達ってこの頃に英語教育一択らしく、漢文は地主の教養みたいに、触れられていて、あら、階級差もあるのかなって。 ***8月8日めも。 リアルタイムは10月26日です、なんかもう日付けがわりとどうでもいいような気もするんですが『もののけ姫』がテレビでやっています、何回見たんだかはもう記憶にありません、なんかだらだらとやってるんだあれは。 この辺は不愉快とかは実際ないよなぁ、面白くないことはあるけど。   なんかもう、言いたいことは言い終わってしまったという感じなんですけども、硯友社のち、自然主義などの台頭がどんなになにを言っていてもあれですね、「3千冊上限」みたいなことになるし、なんなら花袋さんの『蒲団』とか単行本もないようなんですが、だったらどこでなにがどうなっていたの? となるんだよな。 なんかねー、どの雑誌でどうなっていてどこが自然主義の敵で、ということは見せていただいたんですけどもね、新小説と文章世界みたいな、あれ、こういうところなんだ、というかわりと聞くことがある純文学メインのところじゃないんだ、というか。 この時期の話として、何度も何度も何度も何度も全ての雑誌は自然主義の勢いに押されそれ以外の作家が載ることは叶わなかったって言われてるんだよね。 ただ、実際に載ってるのを見るとサブ雑誌とサブ雑誌と大学同人誌とかが争っていてそれでなんか終了というか、読売新聞だけはまあ評価高いか。 他にいっぱい作家いるんだよね、なんか、これを集めて自然主義の反対運動とかしようとしてたらしいですけども、あ、なんか呼び名決まってたのに忘れててすみません(新小説のキャンペーンだった、そんなことしてるから鼻で笑われるんだよ)。 あの大仰な言い回しがなにを指しているのかわからない、しかし、口を揃えてそれっぽいこと言ってますね、ただ、そんなにお仕事してないよね自然主義面子、なんか。 ***8月9日めも。 前日の続き、漱石さんは特に大して評価はされていなかった、自然主義が高い評価を受けていたってのもすごくよく聞きます、ただ、自然主義陣営で一番ちゃんとしたところであるところであるはずの読売新聞は漱石さん獲得にすっ飛んで行ってなぜそんな酷い条件で? 前知識さすがにちょっとなさすぎるような…と朝日新聞の研究者に哀れまれていたりした記憶が蘇って、ここまで並べているとなんか混乱するのですが。 ところで花袋さんは漱石さんのことを馬鹿にして哲学などという軽薄極まりないものを小説に取り込んでいて恥を知れみたいな。 なんかあれ、哲学がブームだったらしいです、一高生の自殺以来。 最初にこの批評を見た時は正直申し訳ないながら正気を疑ってしまったんですが、あれですね、自分の博識さに自信があってミーハーブームなどは全く受け付けないという感じだったみたいです(海外小説読んでる自慢とかよく聞くし)。 ところで漱石さんは外国人講師枠で帝大教授になっているらしくて、まあなんというか、お給料の桁が他の人とは違うみたいですね、まあうん、大したことではないのかもしれないんだけども。 自分で研究内容を設定していいという名目で国費留学されていて、ちょっと他の勢とは時期が違うのでどうも教育立て直しのためっぽいですね。 あと禅宗なども嗜んでおられてこう、その辺を庶民に読めるような文章で(面倒だけど後期の文章でも読めたらしい)書いていたんですよね。   朝日新聞の文芸欄を牛耳って作家総浚いみたいなことしてて、帝大生侍らせて政治参与みたいな感じの方なので、文壇評価…いりますかね? なくても微差じゃないかな。 ***8月10日めも。 新聞の「文芸欄」という表現をしている時はわりとちょくちょく間違えているので適当なんだということを含みおきください、ある時期まであったのである時期にはさっぱり消えてたりとか本当に謎が多いんだあれ、名前が変わっている可能性もあったり、正直なところ研究者さんが間違えていてもこればかりは、こればかりは責めたりするのよくないと思うんだよね!! いやなんか、各社で変えてるのかね、なんか独特なんだよな…。 いや文化欄と文芸欄は違うような気もするんだけどね、内容も。 そういやこないだ図書館で見た都新聞(小新聞出身の東京メインの芸能系新聞)の一面に文壇紹介があったんですけども、書いてあるのはだいたい絵画業界のことで、なんかが違うなんかが違う、となりました。 あちらのほうが景気がいいってのはなんか聞いたことがあるな…。 (見せ物として絵画を見せたりしてたんだって、どのくらいの時代までか忘れたけど、さすがに現代人が聞いても規模が大きいってわかるパノラマ館みたいな遠景を表現した絵画などもその延長上で聞いたほうが理解しやすいかも。)   まああの、紅露もよくよくわかんない部分があるし、自然主義の表現が実情を見るとなんかいまいち首を傾げることになるし、漱石さんに関してはまあ、別にいいか、要するにこの漱石さんのコミットした層は一部紅露とも近いような気もするんだけど。 しかしまあ、そこから多数のインテリが羽ばたいたりもしたしなぁ。 世代交代していても読み手の世代はそこまで激しく動いてないっての、なんかこう、難しいしわかりにくいよね、ああ、戦争もファクターの一つか。 (文アルとか近代芸術、126) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)
*雑記:文アルとか近代芸術、126 ***8月1日めも。 ところでこないだ「明治14年政変」の話をしていたんですけども、なんかねー、このあとに新聞記者のレベルが上がったり小新聞がぼこぼこと乱立したり札幌農学校が潰れたりしたんですけどね。 えーとあれ、小新聞がぼこぼこ乱立したのはあれです、まだ雑誌ってのが一般的ではなくて、機関誌っていうと新聞らしいんですよ。 で、大新聞は月2万くらいの金額だそうです、さすがに現代価値で。 それで、要するに明治14年政変で「国会」の開設が約束されたんですよね、それでまあ、政党が作られ始めたんだかそれよりも前からあったんだったか記憶が薄いんだけど(議会より党派のほうが古いのはわりと一般的、まあ、確かに少なくとも会議やるって決まった時点では結成すべきよな)。 要するにまあ政治活動として選ばれたのが当時は唯一だった新聞。 読む人が限られる金額の大新聞ではなく、安価な庶民向けの読み物中心の小新聞スタイルとなりまして。 読者数を減らさないための読み物も継続されまして、それから徐々に中新聞というものが確立していったということのようです。 ところでわかりやすくはない。   そもそもこの政変、北海道の払い下げ事件が新聞にすっぱ抜かれまして、そのすっぱ抜いたとされた大隈重信を政界から追い払おうとしたら「ごっそり政界が半分くらい同時に辞めた」という感じの事件です、国会開設も大隈さんを辞職さす引き換えの約束です。 大隈さん悪くないけど黒幕呼ばわりされた理由はちょっとわかる。 ***8月2日めも。 前日の続き。 まあ北海道の払い下げ事件そのものは「まともな資本家に頼むため」であってそのくらいの色を付けないともう北海道そのものがやべえっていう見解で行われたことそのものはそんなに疑ってはいないものの(作ったものをただ同然で引き渡しみたいな、北海道開拓そのものの維持って意味では理解不能ではない)。 だがしかし、財界からはいくらなんでもやりすぎの無法地帯すぎて秩序が乱れるってんで反対が強く、大隈さんを責める人たちがいるのはなんか違うと思うんだよね。 というかそもそも新聞に彼が情報を流したっていう証拠なんにもないらしいんだよね、ならなんで疑われたかというと、大隈さんが新聞各社のパトロンをしていたからだそうです、なんかこう、財界人とか教育家との関係が深いっていうかなんかお金ちょうだいって言われて出してたみたいな感じの流れだったんだけどね。 そもそも贈賄事件を世間に知らしめたので政治の場から引き取らないとならないという展開からしてどうなのっていう気もしますが。 まあなんか当時はそれが正義で、たまに研究者も声高に唱えてるんだから私が悪いわけではないです、説明の順序が悪いのは認めるけど!   で、まあ、大隈さんを辞めさせるために国会を開く約束が行われ、明確に何年から、ということが決まり(やはり言い訳が立ちにくいから? というかどこがどうしてそうなったのか真面目にわからない)。 約半分ほどが一緒に辞職しました、「明治14年政変」と呼ばれてるんだけど、あの、揉め事はそんなにないのよ、結果がすざましいだけで。 ***8月3日めも。 明治14年政変のその3。 で、まあ、北海道の札幌農学校が潰れまして、これはなんかわかるね(北海道開拓にとっては二重に打撃だったんだろうしなぁ)、いわゆる降格みたいなことになっていたのかな、何年かのちに東北帝国大学の一部として復活するんだけどね。 そしてあと、政界にいた人たちが新聞各社に流れ込みました。 数年後のそれこそ国会開設の時点などで戻ってった人たちもいるし、結局新聞社に骨を埋めた人たちなんかもいますね。 大新聞の内容も充実したし、小新聞も乱立したし、みたいな感じ。 (揃って中新聞となる時代とはまだちょっと離れてるよ。) それとあと、この経緯だとぶっちゃけ無理もないとは思うけど、この時点で新聞と政治との関係はさして悪くないです、政治対立があるから新聞が敵視されたりすることもありますが、反体制ではなくあくまでも政治内部の話。 ただ正直なところ、江戸時代のかわら版なんかは完全に反体制なんだよね。 あと、海外新聞由来のところやその影響を受けていたりすることもあり、その場合はすでに進んだイギリスの「体制の監視者」の側面を持ってたりもするわけです。   それと、新聞の歴史の本を何冊読んでも、大隈重信と関係が深いことをして「体制と密着」という表現にしていた本はありませんでした、この人総理大臣にもなってるんですけども、なってるんですけども駄目っぽいです。 まああれ、この時点ではわりと程よい政府との関係を保っていたんじゃないでしょうか新聞、あと大隈さんってなんで全てにおいて徹底して山師扱いなの、嫌いじゃない。 ***8月4日めも。 んでまあ、ようやく文学に話が戻ってくるんですけども、政党と結びついた新聞は大変じゃないですか、読み物を独自性強くしないと人が呼べなくて。 そういうわけで「明治14年政変」ののちに、小新聞の乱立があり(これは中新聞)、各社いろんな読み物を載せましたよと。 この中に家庭小説や政治小説や探偵小説や歴史作品などがあったよ、みたいなことになるようです、詳細は実はよくわかってない、作品名はぽちぽち出てきます。   あと、小新聞の前史としていわゆる江戸時代のかわら版に近い事件記事などの掲載や、講談にも近いのかな? 歴史事件などの連載もあったらしいんだけどね、「続き物」と呼ばれていたようです、なんというか人情味が強いというか、ゴシップ色が強いというか、内容が噂話てんこ盛りというか。 こういう記事を書き、その記事に掲載された人物の家の前で読み上げて売るので「読み売り」などと呼ばれたりもしたみたいなんですけどね、小新聞。 こういう案件に怒ってたのが逍遥さんですねー、最初からフィクションにしなさい! ってなことを言ってたらしい、さすがに年齢が若い気もするのでもうちょっとあとの話かもしれないんだけど、怒ってたのは要するにこの類の記事に対してです(やっぱりあとあとまでこの伝統も続いているしねー)。 この辺はどうもちょっと諸説あるぽい、国文学のなんかの先生かもなぁ。 なんかあるんです、噂話の主が別の名前で出てきたりとかたまに。 ああまあ、情報の整理がされていないだけかもしれないんだけどねー、単に。 時代は曖昧ながらこの辺の要素が絡まりつつ、近代小説の誕生となるぽい多分。 ***8月5日めも。 で、こっからが本題なのですが、政治小説ってのがどうも翻案の海外の歴史出来事や神話に現代の政治を仮託して語ったみたいな内容、実際あらすじ読みましたけどもなんというかまとまって読む感じではない感じです。 ただあの、分析と当時においてはどういう意味であるのかということを解説してあったらちょっと読みたいよなぁ、この辺はどうも数万部は売れたぽいです。 あ、はい、自然主義くらいまでの時代よりも余裕で部数が多い。 家庭小説なんかは内容がよくわからないんですが、菊池幽芳さんなんて人はかなりあとまで活躍していてだいたいあれ、菊池寛が登場した時に「菊池幽芳の本名??」とか言われたらしいですよ。 えーと、明治30年くらいまでは主流だったものの、その後、文壇の中心から否定されたみたいな感じで語られていたのは新派演劇に関しての文章でした、新派の演目はよくこの家庭小説から取られていたようです、まあ、そうだろうね。 私は無造作に家庭小説、政治小説、探偵小説と並べたものの、実際のところは時期が違うというか、もう潮流というより一つの新聞の成功とそうでもない案件みたいな感じらしいしなー。 探偵小説も翻案なんですけども、なんていうのかな、黒岩涙香さんのみが有名って印象じゃないかと思うものの、戯作者出身の他の記者たちにはどうも荷が重かったらしくて、そもこそこ長いこと独占市場だったようです。   が、正確には他にもいたけど人気で負けただけかもしんないしなー、その辺はなんというか、研究がない! みたいな感じです、いやあるかもしんない、探せない。 ***8月6日めも。 あれですね、本題というか、今の段階でここまではわかっている、ここからは混ざっていてよくわからないという境い目を書き出してみた感じなのですが。 なんかもうわかっていたり、ある程度は推測でそんなに問題はなさそうな内容の部分ですでになんか「近代文学史」と違うんだよね、食い違っているというか。   というかなんかもう、正史以外は存在してなかったみたいなことにされてるみたいなんだよね、なのでまあ、大衆文学としての時代小説がある日いきなり地から湧いて出たみたいなことになるというか、しかし多分純文学よりも早い、探偵小説も通俗小説も。 【文豪とアルケミスト】のゲーム分類とは違いますけども、まあ紅露時代はわりとれっきとした正史です。 ただなんかこう、のちの純文学とされている作家たちよりもどうもかなり露骨に売れ行きが違っていたような気配がある。 これ多分ですが、文学として正統だからじゃあないんだよね、インテリの評価が高かったから桁がちょいズレに売れたわけではなく、あれだ、なんらかの理由で他の作家たちの市場より広い層に売れたと考えるほうが良さそう。 そういうところまで考えて大衆文学として組み直したという認識でいいのかなぁ? 鴎外さんはその手の層にはコミットしてないよね、逍遥さんの翻訳はなにか別格に売れてたみたいだけどさすがにこの層はインテリ寄りかなぁ? 明治後期当時までに社会的に人間扱いされていた作家はこの四人で打ち止め。 にゃ、この辺は全て適当あてずっぽうです、ただ、叱られるほど粗雑でもないと思ってる、仮説としてはありうる範囲だよね、正解とは思ってない。 ***8月7日めも。 前日分の直接の続き。 「近代小説」が逍遥さんによって生まれてその系譜としてだけ紅露二者を捉えるんなら別に小新聞はやんなくてもいいんだよね、漢文教養のある年寄りインテリが彼らを支持したって理解も実際正しいとも思う。 しかし個人的にはまた同時に講談に近いものや家庭小説のメイン読者が垣根を乗り越えて読みに来ていたって考えるほうが私はしっくり来るんだよね。 そうしてあれ、文アルの解釈も多分だけどそっちのほうに近いかもしれない。 あくまで多分以上のことは言えないんだよなー、だって、その時代の細かい読者層の分析とかあるかどうか私にはわからないし、今見てる範囲だとなさそうな気もするんだよね、だから小新聞の読者分析みたいなもので近いところを見て行ったわけだし。   そうなるとあれ、なかなか言及が少ない領域に足を踏み入れることに、なるわけですが、ありがたいことながら最近たまーに政治小説のこと触れてる本があるんだよね。 どなたが初めてくれたのかわからないし、あるいは文学史においてはあまり一般的ではなくても風俗の本ではわりと昔から語られていたかもしれないしねー、なにしろ社会背景がややこしすぎて最近まで理解出来てなかったし、今も到底研究がどこにあるか把握出来てるとは言い難いしなかなかねー。 文学史にないことだけはまあはっきりしてるけど、はははは…。 しかしよく考えたら風俗研究もそんなに古いジャンルではなかった、ううん。 あとあれ、そもそもインテリたちの御用達ってこの頃に英語教育一択らしく、漢文は地主の教養みたいに、触れられていて、あら、階級差もあるのかなって。 ***8月8日めも。 リアルタイムは10月26日です、なんかもう日付けがわりとどうでもいいような気もするんですが『もののけ姫』がテレビでやっています、何回見たんだかはもう記憶にありません、なんかだらだらとやってるんだあれは。 この辺は不愉快とかは実際ないよなぁ、面白くないことはあるけど。   なんかもう、言いたいことは言い終わってしまったという感じなんですけども、硯友社のち、自然主義などの台頭がどんなになにを言っていてもあれですね、「3千冊上限」みたいなことになるし、なんなら花袋さんの『蒲団』とか単行本もないようなんですが、だったらどこでなにがどうなっていたの? となるんだよな。 なんかねー、どの雑誌でどうなっていてどこが自然主義の敵で、ということは見せていただいたんですけどもね、新小説と文章世界みたいな、あれ、こういうところなんだ、というかわりと聞くことがある純文学メインのところじゃないんだ、というか。 この時期の話として、何度も何度も何度も何度も全ての雑誌は自然主義の勢いに押されそれ以外の作家が載ることは叶わなかったって言われてるんだよね。 ただ、実際に載ってるのを見るとサブ雑誌とサブ雑誌と大学同人誌とかが争っていてそれでなんか終了というか、読売新聞だけはまあ評価高いか。 他にいっぱい作家いるんだよね、なんか、これを集めて自然主義の反対運動とかしようとしてたらしいですけども、あ、なんか呼び名決まってたのに忘れててすみません(新小説のキャンペーンだった、そんなことしてるから鼻で笑われるんだよ)。 あの大仰な言い回しがなにを指しているのかわからない、しかし、口を揃えてそれっぽいこと言ってますね、ただ、そんなにお仕事してないよね自然主義面子、なんか。 ***8月9日めも。 前日の続き、漱石さんは特に大して評価はされていなかった、自然主義が高い評価を受けていたってのもすごくよく聞きます、ただ、自然主義陣営で一番ちゃんとしたところであるところであるはずの読売新聞は漱石さん獲得にすっ飛んで行ってなぜそんな酷い条件で? 前知識さすがにちょっとなさすぎるような…と朝日新聞の研究者に哀れまれていたりした記憶が蘇って、ここまで並べているとなんか混乱するのですが。 ところで花袋さんは漱石さんのことを馬鹿にして哲学などという軽薄極まりないものを小説に取り込んでいて恥を知れみたいな。 なんかあれ、哲学がブームだったらしいです、一高生の自殺以来。 最初にこの批評を見た時は正直申し訳ないながら正気を疑ってしまったんですが、あれですね、自分の博識さに自信があってミーハーブームなどは全く受け付けないという感じだったみたいです(海外小説読んでる自慢とかよく聞くし)。 ところで漱石さんは外国人講師枠で帝大教授になっているらしくて、まあなんというか、お給料の桁が他の人とは違うみたいですね、まあうん、大したことではないのかもしれないんだけども。 自分で研究内容を設定していいという名目で国費留学されていて、ちょっと他の勢とは時期が違うのでどうも教育立て直しのためっぽいですね。 あと禅宗なども嗜んでおられてこう、その辺を庶民に読めるような文章で(面倒だけど後期の文章でも読めたらしい)書いていたんですよね。   朝日新聞の文芸欄を牛耳って作家総浚いみたいなことしてて、帝大生侍らせて政治参与みたいな感じの方なので、文壇評価…いりますかね? なくても微差じゃないかな。 ***8月10日めも。 新聞の「文芸欄」という表現をしている時はわりとちょくちょく間違えているので適当なんだということを含みおきください、ある時期まであったのである時期にはさっぱり消えてたりとか本当に謎が多いんだあれ、名前が変わっている可能性もあったり、正直なところ研究者さんが間違えていてもこればかりは、こればかりは責めたりするのよくないと思うんだよね!! いやなんか、各社で変えてるのかね、なんか独特なんだよな…。 いや文化欄と文芸欄は違うような気もするんだけどね、内容も。 そういやこないだ図書館で見た都新聞(小新聞出身の東京メインの芸能系新聞)の一面に文壇紹介があったんですけども、書いてあるのはだいたい絵画業界のことで、なんかが違うなんかが違う、となりました。 あちらのほうが景気がいいってのはなんか聞いたことがあるな…。 (見せ物として絵画を見せたりしてたんだって、どのくらいの時代までか忘れたけど、さすがに現代人が聞いても規模が大きいってわかるパノラマ館みたいな遠景を表現した絵画などもその延長上で聞いたほうが理解しやすいかも。)   まああの、紅露もよくよくわかんない部分があるし、自然主義の表現が実情を見るとなんかいまいち首を傾げることになるし、漱石さんに関してはまあ、別にいいか、要するにこの漱石さんのコミットした層は一部紅露とも近いような気もするんだけど。 しかしまあ、そこから多数のインテリが羽ばたいたりもしたしなぁ。 世代交代していても読み手の世代はそこまで激しく動いてないっての、なんかこう、難しいしわかりにくいよね、ああ、戦争もファクターの一つか。 (文アルとか近代芸術、126) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)

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