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雑記:文アルとか近代芸術、133」(2018/11/22 (木) 19:28:37) の最新版変更点

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*雑記:文アルとか近代芸術、133 ***10月20日めも。 えーと、10月26日分を書いてそこから遡っています。 あとあれ、放送大学を見始めたのでその分10日分を抜いていたりしますが、あくまでここの日付けがなくなっているだけなのでそれほど大したことでもありません。 ちゃんとこのあとも見続けないとなぁ(今講義の3回まで見てる)(見るのはさほどでもないもののまとめるのが結構面倒い、だがしかし、まとめるつもりじゃないとちゃんと見ないから無駄になっちゃうしなぁ)。 ていうかこの辺の操作をちゃんとメモ帳に書いておかないと忘れるから駄目なんだけども、今ペンがテーブルのほうにあってパソコンの横になくてですね…、さすがにもう一本ペン増やしたほうがいいんだよなわかってる。 どうしてもあれ、使い切ることがなかなかないのであんまり増やしたくないんだよねー、まああくまでなんかの書き物とかじゃなくてメモとか書き付けとか一覧とかその辺にしか使わないから当然なんだけどね。 その辺だいぶ昔からデジタルですしねー、やっぱり漢字忘れる。 最近あれ、文アルが長くなってわりときちんと漢字を覚えておかないと自動的に変換されないとかざらですけど、知名度が、いささか!   まああれですね、あくまでも10月26日なのでその時点ではもう判明しているんですが、ここ数日で文アルの新規キャラが二人分画像のみ出されまして。 そういやヒントとなる画像が出て来たのかどうなのかが何日前だったのかを思い出せないんですが、どうもこの辺は現代知名度の高さ(元ネタの判明しやすさ)と人物判明までの日数がバランス取られてる気もしないでもない。 ***10月21日めも。 とりあえず、文アルでは初期追加分のち、わりとちょくちょくキャラの画像が出されましてその画像にあるモチーフから推理するみたいなことがわりと一般的に行われているのですが、そういやこれ、同じDMMの刀剣乱舞でもよく同じようなことしてたよねー、まあ、その内「ちょっとこれは推理では無理かな」みたいなことになりましたけども、上手く言えないんですが逸話刀とか有名人の刀とかそういうのがね、なんかこう、尽きて来たのか別の事情があるものか。 あんまり触れるべきでもないとは思うんですが、うん、仕方ない。   まあとにかく文アルでは今の時点で続いていまして、もともとキャラが本を持っているのでわりと初版本で予想が付くようなこともあったんだけど、何人かいまだになんの本かわからんみたいなことが語られておりまして。 しかし、私はどっちかというと初版本コレクションにはいまいち興味がなく、どうもその辺の感覚がわからないんですよね、本形式のものってわりとたくさんあるよねぇ(戯曲台本なんかもそうだし、雑誌も特に影響強いところや特集号とかあるだろうし)。 いや、同時代に存在してその後消え去った出版社研究をしてる人が初版本に拘るのは100%理解出来ますけど、奥付にしか情報がないー、みたいなのは、本当に、初版本があればあったほうが!! わかる、めっちゃわかる。 これに関してはわからんって人のほうが変わってるとも思いますマジで。 が、正直初版本コレクションには興味ない人少なくないんじゃないのかなぁ、にゃ、その意義を問うたりはしないですが、だって迷惑なんてあるわけないし。 ただ初版本に元ネタがないおかしい、と言われると「そう?」とはなるかなー。 ***10月22日めも。 ところで相変わらず10月26日にキャラが二人分明言された画像の投稿されたのがいつのことなのか思い出せないのですが、まあいいんだけどね、ここの日付け特になんの意味もないしね、ただ、あんまりそこを緩くするとそれもそれでなんかこう「時空が行ったり来たりする雑記」が出来上がってしまうのだけ避けたいんだよね…。 あのあれ、遡りが数日範囲ならそこまでは気にしないというか、だからこういうスタイルで書いてるんだけどねー。 書いてる順番が悪いってのがまあ一番であり、一応日付けを気にするのはその行動に対しての最低限のあれです、予防措置みたいな、いやなんか表現が変だな。   まああれ、ネタバラシされる前からわりと完全に高浜虚子と碧梧桐だろ! てのは言われてまして、どういうわけなのかかなり昔から赤青セットであるということも見抜いていた人たちがいたんだけど、どういうことなのか。 正直なところ、目は通しているのですが根拠に関してはさっぱりわかりませぬ。 うん、本の表紙が合致するみたいなのはわかるんだけど。 要するに一番調べやすいというか、世の中にまとめて下さっている方たちがいる分野が「初版本ジャンル」というかそこ絡みだと比較的わかりやすい。 あとモチーフだとあれ、どの作品が有名ですとか、名前の意味がそれですとか、そういう感じで解説されているとわかる気はします。 いやなんかこう、読み流してるだけですすみません…。 どうも推理に興味持てないんだけど、付随の人物情報読みたくて読み流してしまうのでちょっと罪悪感があり、言わなきゃいいんだよなこれむしろ。 ***10月23日めも。 リアルタイムは10月26日、そこをまず書いて10月20日から順番に埋めております、すごく内容がないような感じの。 この日くらいのはもうキャラ画像二人分出てたかなー。 そういや今回「子規さんに縁の深い」ともなんとも出てこなかったんですよね、赤っぽい人と青っぽい人と二人でぽんと、碧梧桐と高原虚子だろう、と。 あとあれ、26日に改めて言われてるんですけども、あんまり仲がいいわけではないよね確か、さして界隈に踏み込んでない人間でも漏れ聞いてたりするし。 ただ今、これを書いてからううん…、となってしまったんですが、新思潮第4次(具体的には芥川、久米さん、菊池さん辺り)って実は仲が悪いんです、あれは友情などではないんだ対抗意識なんだその証拠がこれで!! みたいなことをちょくちょく見るのを思い出しまして。 うん、ぶっちゃけ新思潮たち、議論などはマジでちょいちょいしてるのでそういう意味でいうと証拠が残ってるというかべったり同意見とかではないってのはまあ事実なんだよね、好みはわりとがっつり違うよねー、と言われたら私もわりと素直にだよねー? と答えるんだ、だが、それはそれこれはこれ、関係の良好性とはまた別で実際のところは証拠にはならないんだよな、正直、その程度の内容って可能性もあるのかもなぁ。   あれ、この二人に関してはとりあえず子規さんの一番弟子はどっちだみたいなニュアンスはまあ実際のところはあるんだろうし。 そこの部分の揉め事はあったとは思うんだけどね。 対等じゃないとど突き合いは出来ないってのも世界の定理だしなぁ、しばし待ち。 ***10月24日めも。 ところでこのページをぽちぽち書いていたらふと気づいたんですが「碧梧桐」さんてあれですね、普通に色が名前に入ってるね? いやー、見覚えのないお名前なんで頭が認識してなくて…。 あーとあれですね、青くてなんかスタイリッシュな方ですかねこれは。 で、もう一人の方が『ホトトギス』かー、すみません多分そこが一番知名度が高いので、個人雑誌で3千って本当にすごいんだよ時代的に見ても(というか、時代的に見ないとすごいとはわからないと思うんだけど雑誌の知名度は実際高い)。 しかし3千部であれほど残るのはやはり不思議です、なぜに? とはちょくちょくなってる、詩人たちの雑誌もそんな感じの部数だけどやっぱり知名度は高いんだ。 というかあれ、出版の歴史でもちょいちょい出てきますねホトトギス。 なぜ出てくるのかはよくはわからんのですが、詩の雑誌もやっぱりよく出てくるんだよなー、こっちは表現論争で出てきますね、ぶっちゃけ初期の表現論争は実はだいたい詩の雑誌で行われていたよ、て本はこないだ読みました。 あっれー、意外だわ…。 自然主義関係の論争くらいからが小説かな、もう表現どうのっていうところは抜け出てるよなー、言文一致に関しては国文学だそうです、そういや論争って単位だと見たことはないね(実践するかしないか程度の話で)。 まあ、論争が紹介されているのを見ただけなんだけどね! でもそういやもともと小説の場で論争されてたとは聞いてないな? と納得したりもしましたなんの話。   いやうん、ホトトギスですよホトトギス、やけに発言力強い。 ***10月25日めも。 だらっだらと続いています、あれです、仮確定高浜虚子さんの話をしようとしたんだけど私が知ってるのはあくまでも『ホトトギス』だけなんですよね、あれです、『日本新聞』という大新聞(政治取り扱い読み物なし新聞分類、というか、これが最後の大新聞、あとは全て中新聞へと移行しました)がありまして、ここで子規さんが俳句のコーナーを持っていたんですが。 読み物なしだけど俳句だけはオッケー、みたいな機微はよくわからないながら、どうも他の文芸よりはお堅く見られていたんだろうなくらいの認識はいいよね。 まあ日本新聞が6千部、大新聞だからですかねぇ、ううん。 ほぼ個人雑誌のような虚子さんの俳句雑誌ホトトギスが3千部。 単純に部数で比べると多分意味がわからなくなるものの、どうも雑誌のほうが経営は楽そうな気もします、雑誌が何万部って単位になったのが日清戦争よりもあとらしいんですけども、そこよりは融通利きそうではあるかなぁ。 やー、正直、こうして触れてるのも子規さん関係の語りで「ホトトギスは売れる、日本は売れない」っていうモノローグがあったからなんですけども、数字出してもそんなにぱきっと語れるわけでもないかなぁ。 ただこれ、子規さんどうのではなく、他人の推測であっても同時代の誰かしらにはそうみられていたという話ではあり。 数字を見ると若干わかる気もする、しかし文章にすると心もとない! な感じ。   しかし漱石さんの人生はこの雑誌に載せた「猫」で人生変わったんだよなぁ、単行本になってから売れたって、素人連載が単行本になった時点でもう大したもののはずよね。 ***10月26日めも。 リアルタイム日付けで書いています、これを書いてから遡るみたいな予定。 あれです、【文豪とアルケミスト】で子規さんの弟子っていうかいわゆる高弟(って呼んでも問題ないのかなぁ、この辺の言葉の使い方は全く詳しくないです)の人たちが二人まとめての実装予告がされまして。 えーと、碧梧桐さんと高浜虚子さん。 正直前者はお名前を聞いたかどうかですし、虚子さんは『ホトトギス』がないとちょっと自信がないというか、なんで聞いたんだっけ。 まああれ、文アル初めてからだと漱石さんが世に出ることになった「吾輩は猫である」の掲載誌ってことでちょくちょく見るんですけどねー。 しかし3千部で世界が一変するっての、なんかちょっとイメージがわかりにくいところがありますね、現代の部数とはまた違う感じなのかなぁ。   まああれ、子規さんが参加してた新聞が6千部しか部数がなかったのと比べると、ほぼ個人雑誌がその半分ってことで…こう、影響力の違いみたいなものはなんとなくわかるような気もしますが。 子規さんがホトトギスは売れるが新聞売れないって苦悩してるとかって聞いたこともあるよねー。 ええと…やまと新聞じゃなくて、日本新聞、でいいのかいや検索しました。 なんか取っ付きやすそうな現代風の若者っていうか最近のキャラって感じの赤青セットの色違いバージョンで来られたので、それで釣るんだな! とわりと受け取っています、師匠たちは、まあほら、知名度高いもんな、うん、バーターかもねぇ。 ***10月27日めも。 リアルタイムは11月22日です、だいたい1か月ぶりくらいです、あと数日あるけど、とりあえずパソコンのACアダプタをせっかく購入したのに全く使っていませんでした、あとあれ、スマホにメモ帳を入れて一応縦横文字数がカウントしやすくなったんですがそれを生かしている様子はないです。 それとなんかff15のスマホゲームってのを始めました。 DMMのポイントが貰えるとかそんな話だったんですけど、どこを確認すればそれがわかるのかが今の時点で不明な上、まあなかったらなかったでいいかどうせ無料で条件達成したしなりよりなんか合ってるし。 みたいな、ちょっと合いすぎてて時間食われてるって弊害はある。 多分ゲームってそれが一番問題なんだと思う。   なんというか今後も本と両立出来ないゲームはあんまりしない予定です、fgoって意外と駄目なんだわあれ、とうらぶ可能なのかって感じなんですけどわりと平気、でもアニメと平行したほうがいいですどっちかというと。 というか、ゲーム得意そうに見えるみたいなことを言われるんですけども、やる意義がわからないことが多いのであんまりやらないです、超シンプルゲームをしばらくやってるとわりと極まって、意義を見失うみたいなあれです、とても普通の感性。 この辺は個人差じゃないのかなぁ、本読むのが好きなのも、情報取得がメインであって楽しむとかは二の次だったりするしなぁ。 情報取得が楽しいジャンルとそうでないジャンルはあります、楽しいの理由はゲームや小説で可能です、人それぞれじゃないかな。 ***10月28日めも。 ところで前に書いていた同じページの雑記をざっとだけ眺めていたんですが、そうそうあれだ、碧梧桐さんと虚子さんの確定かどうかみたいな頃か、で、その後、イベントが終わって今の時点でイベントが半分くらいしか読めてないです、全部取得するはしたんだよー、あと次の復刻の斜陽イベントのほうは読むは読んだ。 なんというかあれなんですよね、音声を消してゲームすることが多いので、音声復活させるのが面倒なんだよね…。 一括で切り替えられると多分もう見ていたかと思います。 あのねー、音声オフは一瞬で出来るんだよ、復活させるとなると音声バーを3箇所いじらないとならないんだわ、イベント内容的に一度に見る感じでもないけど、この切り替えを何度も何度もやるのがとても面倒なので、なんかこう、そのままになっております、なにかはっきりと駄目な理由があるとかではあんまりないです。 ネタばれとか気にしないってのはあるかもなー、もう考察とかそういうのも普通に読んでるしね、次のイベントが来るまでには読まないと本格的に読めなくなりそうでもあるなぁ、て、キャラ確定の段階だとイベントよりもまだだいぶ前だっけ。 正直さっぱりその辺の記憶はないですね、いつなにがあったやら。 多分作家の年表とかのほうが覚えてると思う、推論や突き合わせとかには使わないしな私のスケジュール。   ていうかあれ、せめてpdfファイルで欲しい、ゲーム画面もデジタルアーカイブもとても辛いです、ええ本当。 fgoとかでも読むだけで力尽きるからな…あれなんとかならないもんか。 (文アルとか近代芸術、133) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)
*雑記:文アルとか近代芸術、133 ***10月20日めも。 えーと、10月26日分を書いてそこから遡っています。 あとあれ、放送大学を見始めたのでその分10日分を抜いていたりしますが、あくまでここの日付けがなくなっているだけなのでそれほど大したことでもありません。 ちゃんとこのあとも見続けないとなぁ(今講義の3回まで見てる)(見るのはさほどでもないもののまとめるのが結構面倒い、だがしかし、まとめるつもりじゃないとちゃんと見ないから無駄になっちゃうしなぁ)。 ていうかこの辺の操作をちゃんとメモ帳に書いておかないと忘れるから駄目なんだけども、今ペンがテーブルのほうにあってパソコンの横になくてですね…、さすがにもう一本ペン増やしたほうがいいんだよなわかってる。 どうしてもあれ、使い切ることがなかなかないのであんまり増やしたくないんだよねー、まああくまでなんかの書き物とかじゃなくてメモとか書き付けとか一覧とかその辺にしか使わないから当然なんだけどね。 その辺だいぶ昔からデジタルですしねー、やっぱり漢字忘れる。 最近あれ、文アルが長くなってわりときちんと漢字を覚えておかないと自動的に変換されないとかざらですけど、知名度が、いささか!   まああれですね、あくまでも10月26日なのでその時点ではもう判明しているんですが、ここ数日で文アルの新規キャラが二人分画像のみ出されまして。 そういやヒントとなる画像が出て来たのかどうなのかが何日前だったのかを思い出せないんですが、どうもこの辺は現代知名度の高さ(元ネタの判明しやすさ)と人物判明までの日数がバランス取られてる気もしないでもない。 ***10月21日めも。 とりあえず、文アルでは初期追加分のち、わりとちょくちょくキャラの画像が出されましてその画像にあるモチーフから推理するみたいなことがわりと一般的に行われているのですが、そういやこれ、同じDMMの刀剣乱舞でもよく同じようなことしてたよねー、まあ、その内「ちょっとこれは推理では無理かな」みたいなことになりましたけども、上手く言えないんですが逸話刀とか有名人の刀とかそういうのがね、なんかこう、尽きて来たのか別の事情があるものか。 あんまり触れるべきでもないとは思うんですが、うん、仕方ない。   まあとにかく文アルでは今の時点で続いていまして、もともとキャラが本を持っているのでわりと初版本で予想が付くようなこともあったんだけど、何人かいまだになんの本かわからんみたいなことが語られておりまして。 しかし、私はどっちかというと初版本コレクションにはいまいち興味がなく、どうもその辺の感覚がわからないんですよね、本形式のものってわりとたくさんあるよねぇ(戯曲台本なんかもそうだし、雑誌も特に影響強いところや特集号とかあるだろうし)。 いや、同時代に存在してその後消え去った出版社研究をしてる人が初版本に拘るのは100%理解出来ますけど、奥付にしか情報がないー、みたいなのは、本当に、初版本があればあったほうが!! わかる、めっちゃわかる。 これに関してはわからんって人のほうが変わってるとも思いますマジで。 が、正直初版本コレクションには興味ない人少なくないんじゃないのかなぁ、にゃ、その意義を問うたりはしないですが、だって迷惑なんてあるわけないし。 ただ初版本に元ネタがないおかしい、と言われると「そう?」とはなるかなー。 ***10月22日めも。 ところで相変わらず10月26日にキャラが二人分明言された画像の投稿されたのがいつのことなのか思い出せないのですが、まあいいんだけどね、ここの日付け特になんの意味もないしね、ただ、あんまりそこを緩くするとそれもそれでなんかこう「時空が行ったり来たりする雑記」が出来上がってしまうのだけ避けたいんだよね…。 あのあれ、遡りが数日範囲ならそこまでは気にしないというか、だからこういうスタイルで書いてるんだけどねー。 書いてる順番が悪いってのがまあ一番であり、一応日付けを気にするのはその行動に対しての最低限のあれです、予防措置みたいな、いやなんか表現が変だな。   まああれ、ネタバラシされる前からわりと完全に高浜虚子と碧梧桐だろ! てのは言われてまして、どういうわけなのかかなり昔から赤青セットであるということも見抜いていた人たちがいたんだけど、どういうことなのか。 正直なところ、目は通しているのですが根拠に関してはさっぱりわかりませぬ。 うん、本の表紙が合致するみたいなのはわかるんだけど。 要するに一番調べやすいというか、世の中にまとめて下さっている方たちがいる分野が「初版本ジャンル」というかそこ絡みだと比較的わかりやすい。 あとモチーフだとあれ、どの作品が有名ですとか、名前の意味がそれですとか、そういう感じで解説されているとわかる気はします。 いやなんかこう、読み流してるだけですすみません…。 どうも推理に興味持てないんだけど、付随の人物情報読みたくて読み流してしまうのでちょっと罪悪感があり、言わなきゃいいんだよなこれむしろ。 ***10月23日めも。 リアルタイムは10月26日、そこをまず書いて10月20日から順番に埋めております、すごく内容がないような感じの。 この日くらいのはもうキャラ画像二人分出てたかなー。 そういや今回「子規さんに縁の深い」ともなんとも出てこなかったんですよね、赤っぽい人と青っぽい人と二人でぽんと、碧梧桐と高原虚子だろう、と。 あとあれ、26日に改めて言われてるんですけども、あんまり仲がいいわけではないよね確か、さして界隈に踏み込んでない人間でも漏れ聞いてたりするし。 ただ今、これを書いてからううん…、となってしまったんですが、新思潮第4次(具体的には芥川、久米さん、菊池さん辺り)って実は仲が悪いんです、あれは友情などではないんだ対抗意識なんだその証拠がこれで!! みたいなことをちょくちょく見るのを思い出しまして。 うん、ぶっちゃけ新思潮たち、議論などはマジでちょいちょいしてるのでそういう意味でいうと証拠が残ってるというかべったり同意見とかではないってのはまあ事実なんだよね、好みはわりとがっつり違うよねー、と言われたら私もわりと素直にだよねー? と答えるんだ、だが、それはそれこれはこれ、関係の良好性とはまた別で実際のところは証拠にはならないんだよな、正直、その程度の内容って可能性もあるのかもなぁ。   あれ、この二人に関してはとりあえず子規さんの一番弟子はどっちだみたいなニュアンスはまあ実際のところはあるんだろうし。 そこの部分の揉め事はあったとは思うんだけどね。 対等じゃないとど突き合いは出来ないってのも世界の定理だしなぁ、しばし待ち。 ***10月24日めも。 ところでこのページをぽちぽち書いていたらふと気づいたんですが「碧梧桐」さんてあれですね、普通に色が名前に入ってるね? いやー、見覚えのないお名前なんで頭が認識してなくて…。 あーとあれですね、青くてなんかスタイリッシュな方ですかねこれは。 で、もう一人の方が『ホトトギス』かー、すみません多分そこが一番知名度が高いので、個人雑誌で3千って本当にすごいんだよ時代的に見ても(というか、時代的に見ないとすごいとはわからないと思うんだけど雑誌の知名度は実際高い)。 しかし3千部であれほど残るのはやはり不思議です、なぜに? とはちょくちょくなってる、詩人たちの雑誌もそんな感じの部数だけどやっぱり知名度は高いんだ。 というかあれ、出版の歴史でもちょいちょい出てきますねホトトギス。 なぜ出てくるのかはよくはわからんのですが、詩の雑誌もやっぱりよく出てくるんだよなー、こっちは表現論争で出てきますね、ぶっちゃけ初期の表現論争は実はだいたい詩の雑誌で行われていたよ、て本はこないだ読みました。 あっれー、意外だわ…。 自然主義関係の論争くらいからが小説かな、もう表現どうのっていうところは抜け出てるよなー、言文一致に関しては国文学だそうです、そういや論争って単位だと見たことはないね(実践するかしないか程度の話で)。 まあ、論争が紹介されているのを見ただけなんだけどね! でもそういやもともと小説の場で論争されてたとは聞いてないな? と納得したりもしましたなんの話。   いやうん、ホトトギスですよホトトギス、やけに発言力強い。 ***10月25日めも。 だらっだらと続いています、あれです、仮確定高浜虚子さんの話をしようとしたんだけど私が知ってるのはあくまでも『ホトトギス』だけなんですよね、あれです、『日本新聞』という大新聞(政治取り扱い読み物なし新聞分類、というか、これが最後の大新聞、あとは全て中新聞へと移行しました)がありまして、ここで子規さんが俳句のコーナーを持っていたんですが。 読み物なしだけど俳句だけはオッケー、みたいな機微はよくわからないながら、どうも他の文芸よりはお堅く見られていたんだろうなくらいの認識はいいよね。 まあ日本新聞が6千部、大新聞だからですかねぇ、ううん。 ほぼ個人雑誌のような虚子さんの俳句雑誌ホトトギスが3千部。 単純に部数で比べると多分意味がわからなくなるものの、どうも雑誌のほうが経営は楽そうな気もします、雑誌が何万部って単位になったのが日清戦争よりもあとらしいんですけども、そこよりは融通利きそうではあるかなぁ。 やー、正直、こうして触れてるのも子規さん関係の語りで「ホトトギスは売れる、日本は売れない」っていうモノローグがあったからなんですけども、数字出してもそんなにぱきっと語れるわけでもないかなぁ。 ただこれ、子規さんどうのではなく、他人の推測であっても同時代の誰かしらにはそうみられていたという話ではあり。 数字を見ると若干わかる気もする、しかし文章にすると心もとない! な感じ。   しかし漱石さんの人生はこの雑誌に載せた「猫」で人生変わったんだよなぁ、単行本になってから売れたって、素人連載が単行本になった時点でもう大したもののはずよね。 ***10月26日めも。 リアルタイム日付けで書いています、これを書いてから遡るみたいな予定。 あれです、【文豪とアルケミスト】で子規さんの弟子っていうかいわゆる高弟(って呼んでも問題ないのかなぁ、この辺の言葉の使い方は全く詳しくないです)の人たちが二人まとめての実装予告がされまして。 えーと、碧梧桐さんと高浜虚子さん。 正直前者はお名前を聞いたかどうかですし、虚子さんは『ホトトギス』がないとちょっと自信がないというか、なんで聞いたんだっけ。 まああれ、文アル初めてからだと漱石さんが世に出ることになった「吾輩は猫である」の掲載誌ってことでちょくちょく見るんですけどねー。 しかし3千部で世界が一変するっての、なんかちょっとイメージがわかりにくいところがありますね、現代の部数とはまた違う感じなのかなぁ。   まああれ、子規さんが参加してた新聞が6千部しか部数がなかったのと比べると、ほぼ個人雑誌がその半分ってことで…こう、影響力の違いみたいなものはなんとなくわかるような気もしますが。 子規さんがホトトギスは売れるが新聞売れないって苦悩してるとかって聞いたこともあるよねー。 ええと…やまと新聞じゃなくて、日本新聞、でいいのかいや検索しました。 なんか取っ付きやすそうな現代風の若者っていうか最近のキャラって感じの赤青セットの色違いバージョンで来られたので、それで釣るんだな! とわりと受け取っています、師匠たちは、まあほら、知名度高いもんな、うん、バーターかもねぇ。 ***10月27日めも。 リアルタイムは11月22日です、だいたい1か月ぶりくらいです、あと数日あるけど、とりあえずパソコンのACアダプタをせっかく購入したのに全く使っていませんでした、あとあれ、スマホにメモ帳を入れて一応縦横文字数がカウントしやすくなったんですがそれを生かしている様子はないです。 それとなんかff15のスマホゲームってのを始めました。 DMMのポイントが貰えるとかそんな話だったんですけど、どこを確認すればそれがわかるのかが今の時点で不明な上、まあなかったらなかったでいいかどうせ無料で条件達成したしなりよりなんか合ってるし。 みたいな、ちょっと合いすぎてて時間食われてるって弊害はある。 多分ゲームってそれが一番問題なんだと思う。   なんというか今後も本と両立出来ないゲームはあんまりしない予定です、fgoって意外と駄目なんだわあれ、とうらぶ可能なのかって感じなんですけどわりと平気、でもアニメと平行したほうがいいですどっちかというと。 というか、ゲーム得意そうに見えるみたいなことを言われるんですけども、やる意義がわからないことが多いのであんまりやらないです、超シンプルゲームをしばらくやってるとわりと極まって、意義を見失うみたいなあれです、とても普通の感性。 この辺は個人差じゃないのかなぁ、本読むのが好きなのも、情報取得がメインであって楽しむとかは二の次だったりするしなぁ。 情報取得が楽しいジャンルとそうでないジャンルはあります、楽しいの理由はゲームや小説で可能です、人それぞれじゃないかな。 ***10月28日めも。 ところで前に書いていた同じページの雑記をざっとだけ眺めていたんですが、そうそうあれだ、碧梧桐さんと虚子さんの確定かどうかみたいな頃か、で、その後、イベントが終わって今の時点でイベントが半分くらいしか読めてないです、全部取得するはしたんだよー、あと次の復刻の斜陽イベントのほうは読むは読んだ。 なんというかあれなんですよね、音声を消してゲームすることが多いので、音声復活させるのが面倒なんだよね…。 一括で切り替えられると多分もう見ていたかと思います。 あのねー、音声オフは一瞬で出来るんだよ、復活させるとなると音声バーを3箇所いじらないとならないんだわ、イベント内容的に一度に見る感じでもないけど、この切り替えを何度も何度もやるのがとても面倒なので、なんかこう、そのままになっております、なにかはっきりと駄目な理由があるとかではあんまりないです。 ネタばれとか気にしないってのはあるかもなー、もう考察とかそういうのも普通に読んでるしね、次のイベントが来るまでには読まないと本格的に読めなくなりそうでもあるなぁ、て、キャラ確定の段階だとイベントよりもまだだいぶ前だっけ。 正直さっぱりその辺の記憶はないですね、いつなにがあったやら。 多分作家の年表とかのほうが覚えてると思う、推論や突き合わせとかには使わないしな私のスケジュール。   ていうかあれ、せめてpdfファイルで欲しい、ゲーム画面もデジタルアーカイブもとても辛いです、ええ本当。 fgoとかでも読むだけで力尽きるからな…あれなんとかならないもんか。 ***10月29日めも。 ちょっとだけ食事前にスマホで打ち込みしようとしてみたんですがやっぱり嫌でした、まああれ、なんかで時間が余りすぎて死にそうな時とかにまた改めて挑んでみたいと思います、いや別にね、ついったとかずっと打ち込みしててあれも大した分量なので頭が勘違いしてるだけでそんなに大変なわけではないと思うんだけども。 というリアルタイムは11月22日です、これ打ち込んだらこのページ終了です。   ところで10月くらいからアプリで見ることが出来るようになった放送大学の講義に関してのまとめを作ろうと思ったまま、わりとすっかんと忘れていました、いやあれね、なんか番組一覧を出してその講義名を打ち込もうとして挫けたんだよね。 ところでこの手の文章打つのは別に5分くらいで終了するんですけどね、私。 40文字37行とかそのくらいがこの雑記の一日分なんですが、そのくらいの時間で打ち込めるんだけどコンスタントにやるのか嫌なんだよね。 しかしスマホでやるとさすがにそのスピードでは無理にしても、それでもそこまで時間掛かるってことでもないよなぁ。 もうちょっと自分を騙したいと思います。 初めてしまえば勘違いはなくなると思うんだよ、ところで理性ではもう完全に理解してるんですよね、本能ってなんで思い通りにならないんだろうね? ところでとりあえず放送大学のアプリだけ立ち上げてみました、あのえっと、サブタイトルを打ち込むのに地味に面倒なことになってるぞ、タイトル全部表示されてない、えーと、えーと、OPの中に文章が出て来たのでその時間まで流して写すことにしますなんか思ったより地味に面倒だったわ過去の私ごめんな!! (文アルとか近代芸術、133) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)

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