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*雑記:文アルとか近代芸術、122 ***6月22日めも。 ところで出版関係でざかざかと10ほどトピックを書いてたんですけど、さすがに私でも途中で我に返って「こりゃねぇな」となりました、今調べてて途中になってることが全部詰め込まれたみたいな疑問羅列の内容になってるのはさすがにない。 あれだよな、文藝春秋でちょっとこれがわからん。 中央公論でこの辺がなー、程度までが限界だったという気もしてる。 まあそれ自体が悪いというほどのものでもないのでなんとなく隔離気味にでも表示しておくとして、なんというかゲームが出発点であるという意味がない。 というかキャラとの関係が書いてない。 (及第点だと思える文藝春秋と中央公論はまだしもそれがあった。) いや正直なところ、だいたいどこからどこくらいまでが関係者かは頭の中には入ってるんだけどね、入ってるんだけど文章化しようと思うとちょっとややこしくて、いやだって関係の仕方がちょっとずつ違うわけで…。 そういや武者さんが『新潮』で世に出たということをこないだ武者さん担当の方が言ってたので、あー、そうそう、志賀さんもそうなんだけど中央公論じゃないんだよね、と納得したまま特に自分で調べてないので書けないっていう!   あと佐藤さんが『中外』で世に出たとか、菊池さんと芥川は一応『中央公論』組ということになるのかしら、二人とも他の雑誌にもぽちぽち出てるけどあれは別にいいのか(ただ『改造』だけは初期断ってるので義理はありそうとか)。 つか、自然主義たちどこ出身? とか、犀星と朔ちゃんが世に出たのって『朱欒(ザンボア)』だっけとか、なんか結構まだあるし、そうそう『人間』忘れてた! ***6月23日めも。 んーと、そもそも「雑誌」ってどうも初期は新聞と特に区別されていなかったようで、なんというかこの単語自体特になんにも含むものがないよね、なんか冊子状でさえあればよさそうな感じの文字だし。 別のところで読んだところによると(政治の本のほう)、新聞を使って各政党が論争を行っていたものの、どうにも手間が掛かる! ということに気付いたのでそれぞれ各政党が機関誌を作りまして、その中で比較的一般性がある雑誌を作り始めたのが『明六雑誌』、なんかあれ、捌けた感じの文化人の集まりみたいなところです。 森さんの親類とかもいるよね(森有礼じゃないよー、森有礼いるけど)。 で、なんかざっくりと弾圧され掛けたので撤退し。 あとあれ、福沢諭吉さんが頼まれてた官報みたいなのもあったんだっけ、これも頓挫。 まあそんなこんななので、そもそも雑誌の初期の話をすると正直いろいろはっきりしていない、というのが一番妥当な表現になるような気がする。 一応検閲などもあるものの、その辺は新聞のほうが先行しているので雑誌と結び付けて考えられてないからなぁ、言うて機関誌だし。 多分、広く発言を載せるような体裁になるといろいろ危なかったんだろうね。 右だ左だってことじゃなくて、政府に対して意見があるのが危ないみたいなの、結構ちょくちょく中枢が変わるので政府内部に味方がいても危ないのでややこしい。   さらに言うとこの辺の政治事情があんまり汲み取られてないのでますますわかりにくいんだろうね、雑誌。 新聞はまだしもガチで政府と取っ組み合いしてるからまだしもというか…。 ***6月24日めも。 なんかもう、雑誌とはそもそもなんぞや、の方向に走ってみました。 ぶっちゃけ正直なところ若干マシになったような気もします、なんで初期が曖昧なのかということだけに特化した感じで。 んで、このあとに出版社が出てくるんですけど、どこからが出版社か一部除いてよくわからないんだよね、なんというか、印刷代表みたいなとこに書いてあるあれって、別に出版社じゃないらしいんだよね、それっぽい名前が書いてあるけど住所自宅とか「よし〇〇にしよう」とか書いてる話とか、だいぶあとですけどあります。 そういう個人出版みたいなものが、一体どこで印刷されているものやらわからない。 自主出版で本を作るのはかなり大変っぽいんだけど、雑誌に関してはなんか妙にあっさり出てたりするんだよね、技術の進歩なのかそうでもないのか。 まあこの辺は単純にページ数や体裁の違いってこともあるのかなぁ?   なのでまあ、これは確実に出版社、というところはわかるものの、実際のところどこまで出版社なのかそうでもないのかわからないっていう。 これに関しては印刷機の歴史辺りを読んでいけばわかるんじゃないかと思うんだけども、それまで棚上げしてる感じだなー、印刷所の歴史みたいな本は一応予定にはあるんだけどいつ読むのかは未定です、読むもの多くて…。 あと社史なので読み始めると大変でね。 文藝春秋のは異様に読みやすかったんですけど、そういうところのは時系列とか認識とか曖昧なんだよあそこは元が同人誌だから仕方ないけどさもう!! 雑誌の変遷を辿るために印刷の歴史を読むって道が長いよねー、マジで。 ***6月25日めも。 えーと、なんの話してたっけ、そうそう雑誌の歴史わかんねって話をしてたんですね、まあなので、前に雑誌の本を読んだ時に『明六雑誌』→『反省会雑誌』という順番だったので突っ伏したものの、本気で流れだけを押さえるとなると今となると確かにわかる、あれだよね、機関誌からあとで一般化したのでわかりやすいというか。 (反省会雑誌ってのは『中央公論』の前身だよ、本願寺の機関誌ね。) そもそも雑誌に限らんと、小説の歴史ってのもなんとも曖昧で、こないだ馬場孤蝶さん読んでたら『当世書生気質』は普通の人が出てくるって意味ですごく斬新だったんだよねー、ということに触れてまして。 そこが、斬新だと、それ以降は埋もれるのも仕方ないな?! としか言い様がない状態となりました、なんというの、その作品こそがスタンダートへのけん引役となった場合って過小評価されるよね…。   いや鴎外さんがこの作品のことを戯作と大差ないって言ってたのは、作者の逍遥さんのほうが戯作の否定をし始めたからで、落ち着け的な意味で別に問題はないです。 逍遥さんは逍遥さんで、ゴシップ記事で実際にそこに人が存在しているのにずらずらずらずらと勝手に設定付け加えて行く状況に胸痛めて「最初からフィクションでやれ!」と言ってたので悪い人ではないんだよ…。 要するにそのゴシップ記事が当時の娯楽だったんだよねぇ、戯作のがマシじゃ。 ただ、まあ伝統の作品を否定するのはそんなには良くないから、うん、まあ、大変だよねそういう時代の変化も。 しかしこの流れを尻目に家庭小説だの政治小説だのもうあるしな! ややこしいな! ***6月26日めも。 ところで現在私はなんの話をしていますでしょうか、そもそも「小説」ってなんぞや、「雑誌」ってなんだろうねみたいな。 まあ、菊池さんの時代にはさすがにその問題はなくなってるんだけど、そうなると今度は雑誌の増加があって大衆文学の隆盛があって大衆雑誌がぼこぼこ増えてみたいな変遷も辿ってくからなぁ。 その上でその間に少年雑誌とか婦人雑誌とかが結構売れてるわけなんだよね、10万部くらい売ってたら文芸誌だと破格扱いなんだけども、婦人雑誌だとまあ普通、な感じです、原稿料とかも高かったようです。 そういうのはあんまり触れられてないんだけどね。 純文学の人らは結構赤裸々に触れられてるんだけども、その中での順列に関しては結構細かい話もしてるんだけど「純文学よりもかなり稼いでいる人たち」に関しては触れてません、なんでかはよく知らないけど☆ いや全く見当付かないというほどでもないんだけど、結局菊池さんの原稿料って破格の千円! てケース以外一切語られてなかったしなぁ。 二千円あると二階建ての家が建つくらいの当時価格だってー、こえーなおい。   その触れてる触れてないに関しても、まあなんらかの意味や意向があったのかもしれないなぁ、とぼんやり考えるくらいしかない。 あと、婦人雑誌で書いてると存在ごと消されます、筆を折ったとか紹介されます、少年雑誌で書いてる人らもいるのかもしれないけど見たことすらない、大衆雑誌で書いてた人は無職扱いだったらしいです、評価しないんじゃないんだよね、消されるんだ…。 ***6月27日めも。 まあなんの話をしたかったのかというと文学史って一見整ってるように見えるんだけどそれはあくまでも「文学史」内独自ルールに則っての上のことなので、実際の情報を探そうとすると最悪消え失せたり別の文脈の中に紛れたりするとかざらなので。 なにか特定のものを拠点にしようとすると情報を集めるところから苦労するみたいな内容にどうしてもなっちゃうんだよね、ただ、そこから話を始めるとさすがに基盤すらないみたいなことになってしまうからよくはないんだけども…。 ないんだけども、要するに独自ルールって有り体には幻覚というか…。 あんまり既存の解説に頼るってのも、ちょっとあの、ううん。   文藝春秋は戦前の総合誌トップらしいんですけど、なんかある時期から部数が消え失せてしまってそのことが数字だとわからなくなるんですよね。 中央公論は瀧田さんが死んだあとでクーデターめいたことが起こり、『婦人公論』による乗っ取りなどと言われるような出来事を経て芥川の担当編集さんが解雇されたりしてるんですけども、この一件に関しても滅多に触れられてることがない。 断片的にはないでもないんだけどその事を知らないとなんのことかわかりにくい。 改造なんて利一くんと川端が掲載数ツートップだというのにそのことが一切触れられてない、いやそりゃ、新人雑誌じゃないだろうよそれ…。 この辺は当時の事情に鑑みて黙っていただけだと思うんだよね、正直。 ところが研究者たちが懇切丁寧にその痕跡を消したままで話を勝手につないでったのでまずどこから腐ってるかをぶち抜いてから少ない情報を探さないとならないみたいなことになってるんだけども、いや、私のすることじゃないと思うんだけどね?! ***6月28日めも。 昨日の直接の続き、私のやることではないなとは思うものの、要するにそれで消されてるのが菊池さんだとなぁ、作家たちとの付き合いでもそうですけども、とある傾向のある人たちだと付き合いごと丸っと消されてるんですよね。 いや、吉川さんに関しては悪気あるとは思ってないけど、というか、あれは吉川さんのほうが消されたために起こったことだろうし正直。 とある傾向というか、特定の人らを「高尚である」という分類にしたい場合に菊池さんとの関係消しちゃうみたいなんだよね。 ただ、私が見た人たちは多分全く別にそんなことはなくて、むしろ菊池さん絡みの情報を扱おうとして関係ないはずなんだけどこういう情報があったから、と「既存の文学史」に気を使って付き合いがない、と礼儀正しく断りを入れているんだと思うんだよね、まあただ、文藝春秋の社史だの3代め社長だの見てると普通にその辺にいる人がその辺にいるということから消されたという、どこをどう改変して理解したのかは正直謎な現象になって私がぐるぐる唸ることになるんだよね…。   既存の情報ベースがそんなことになっているので、要するに単純に私は焦点を絞ってまとめられていない、というのが正しい状態の説明になるんじゃないかな…。 「文学史」を読むのに違和感に気付き、その上で流れを捉え直すのに的確にポイントを付いていて、それでいて初見であっても読める範囲、というところを目指すべきだった、とは別に全く思ってないのでえーと、ポイントを一つに絞ってよくある勘違いを一つ二つ入れてそれ以上は書かない、というのが妥当なラインかな。 なんだ、足りないのは計画性か、あれもう一回書き直してみるか。 ***6月29日めも。 ポイントだけ洗い直すつもりでもう少し、いわゆる中央公論は「政治雑誌の客寄せ」として小説を載せようとした雑誌なので格式は低くないもののどちらかというと売れ筋の作家に対しての偏重が大きく(政治に関してはわりと硬派だったけどねー、デモクラシー寄りで吉野作造さんとは本当に仲が良かった)、文藝春秋は、もともとリトルマガジンや同人誌などの作家の色が強い雑誌が大量に出た時代の生き残りであってほとんど偶然のように出世し、大衆雑誌などの力も借りるようにわかりやすい方向に。 ただし載ってるのは結構な硬派って気もする、思想の方向性はなし。 新潮はこれは良くも悪くも文芸誌であって、いわゆる純文学志向が非常に高いんだけどちょっとあの、島田清次郎関係を見ていると感心しない点があったな…。 これは「カネと文学」の本を直接出したほうがわかりやすいかも。 流行ったことはないけどなんだかんだと息が長い、大正8年からの雑誌ブームを生き残るのにちょっとね、ということがあった感じかな。 (あと中村武羅夫さんが気になるね、あの人にも触れられてない。)   改造に関しては堅いけどわりと前のままのノリでいいかな、どうも「改造の時代」という本が正史扱いらしいってことを中心に据えてみよう。 硯友社はそれこそ作家という職業そのものがない時代に、小説一本で雑誌化したということで画期的な集団だったんだけど、まあどの雑誌ってことはあんまりないよ的な。 書いてはあるつもりなんだけどこの結論まで遠いんだよね。 女学雑誌と文藝時代に関しては枠外において現時点の不明点羅列まとめ。 んー、文學界どうしよ、若い作家の受け皿だった的な内容かな? ***6月30日めも。 ここまでがっつり他のページに書いたことを述べて来てそれがどこにあるのかということをあんまり気にしていなかったんですが、いつ移動することになるのかよくわからんところがあるのでリンクはあんまり張りたくないのであれです「雑記116」です。 雑誌などをメインにだーっと10個くらい並んでるんですけど、やっぱり新聞はなんか違う気がする、というか、新聞が小説というメディアにおいてどのような位置だったのかよくわからないところがあるんだよね。 ものすごくぶっちゃけて、朝日は漱石さん、日日は菊池さんとの相対的な関係しかわからない、なんというか大ヒットになっても雑誌の人たちが意識すらしてなくて、大きな反響になってから初めて業界の他のところにも伝わった程度のブランクがあるような気がしていて、あれですね、大雑把に3年以上人気が続くか社会現象になるほどに目立つかするとメディア間の垣根を越えてくんだけど、なんかそのくらい雑誌が新聞での連載小説の動きに無関心だったって気もしてるんだよな…。 なんか把握してなさそうというか興味なさそうというか。 (新聞側でもそんな感じ、雑誌には載せていいと菊池さんも契約時に言われてた。)   今の時点でこの境目がどんなもんだったかを把握していないので、単体メディアとしてどんな位置だったのか的なことをそもそも言えないという感じに。 なるので一体どうしようかな、という感じになってるんだけども。 そもそも読売省いてるし、ううん、項目からもう一回選び直そうかな、なんか他にもぽちぽち雑誌あるしなぁ、むしろ総合誌3つ、新潮、新聞3つ、硯友社、白樺、新思潮辺りのほうがいいかしら…よしこれでいくか。 ***7月1日めも。 項目10個を決め直したので、むしろそれぞれを配置して全体で流れを出来るようにしようみたいなことを考えているものの、えーと、えーと、なんかの紙に書いたほうがいいのかこれ。 新聞に関しては小説そのものは載せてはいるものの、その質に拘るということがあまりなく、というところを主軸にしていくといいのかも、売れるならインテリもいいんだけど売れなくて辛い思いしてまで質が高いとか言いたくないんだよね、なんというか商売なので、読売はその辺のところが若干違ってて文芸ありきで成り立って来たところがあるので質下げると逆に客に嫌われるみたいなところがないでもないんだけどこれをどうやってまとめればわかりやすくなるのかしら。 というかひょっとして、白鳥さんに関しての本を読んでからにしたほうがいいのかしら、いや彼が編集をやってるので、編集長ではなかったよね、なんか偉いようなそうでもないような微妙な立場で記憶がいまいち。 うーん、やっぱり面倒臭いので適当に並べよう。 というか厳密にやろうとするとどっちが前とか後ろとかなんか変なんだよね、文學界とか文藝時代とかはまああれ、なんかマイナーで知ってることがあるだけマシみたいなページ作ってそこでまとめていけばいいや。 いや、文學界とかはコミュニティは有名だけどな! でも後継雑誌が『明星』なのに詩の雑誌だということを知らない人がいる時点でなんかこう、マイナーに突っ込んでもいいかなって、あ、馬場孤蝶さんがそうだったよマジ。   どこそこがわかんねページは必要は必要なんだよね私のために。 (文アルとか近代芸術、122) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)
*雑記:文アルとか近代芸術、122 ***6月22日めも。 ところで出版関係でざかざかと10ほどトピックを書いてたんですけど、さすがに私でも途中で我に返って「こりゃねぇな」となりました、今調べてて途中になってることが全部詰め込まれたみたいな疑問羅列の内容になってるのはさすがにない。 あれだよな、文藝春秋でちょっとこれがわからん。 中央公論でこの辺がなー、程度までが限界だったという気もしてる。 まあそれ自体が悪いというほどのものでもないのでなんとなく隔離気味にでも表示しておくとして、なんというかゲームが出発点であるという意味がない。 というかキャラとの関係が書いてない。 (及第点だと思える文藝春秋と中央公論はまだしもそれがあった。) いや正直なところ、だいたいどこからどこくらいまでが関係者かは頭の中には入ってるんだけどね、入ってるんだけど文章化しようと思うとちょっとややこしくて、いやだって関係の仕方がちょっとずつ違うわけで…。 そういや武者さんが『新潮』で世に出たということをこないだ武者さん担当の方が言ってたので、あー、そうそう、志賀さんもそうなんだけど中央公論じゃないんだよね、と納得したまま特に自分で調べてないので書けないっていう!   あと佐藤さんが『中外』で世に出たとか、菊池さんと芥川は一応『中央公論』組ということになるのかしら、二人とも他の雑誌にもぽちぽち出てるけどあれは別にいいのか(ただ『改造』だけは初期断ってるので義理はありそうとか)。 つか、自然主義たちどこ出身? とか、犀星と朔ちゃんが世に出たのって『朱欒(ザンボア)』だっけとか、なんか結構まだあるし、そうそう『人間』忘れてた! ***6月23日めも。 んーと、そもそも「雑誌」ってどうも初期は新聞と特に区別されていなかったようで、なんというかこの単語自体特になんにも含むものがないよね、なんか冊子状でさえあればよさそうな感じの文字だし。 別のところで読んだところによると(政治の本のほう)、新聞を使って各政党が論争を行っていたものの、どうにも手間が掛かる! ということに気付いたのでそれぞれ各政党が機関誌を作りまして、その中で比較的一般性がある雑誌を作り始めたのが『明六雑誌』、なんかあれ、捌けた感じの文化人の集まりみたいなところです。 森さんの親類とかもいるよね(森有礼じゃないよー、森有礼いるけど)。 で、なんかざっくりと弾圧され掛けたので撤退し。 あとあれ、福沢諭吉さんが頼まれてた官報みたいなのもあったんだっけ、これも頓挫。 まあそんなこんななので、そもそも雑誌の初期の話をすると正直いろいろはっきりしていない、というのが一番妥当な表現になるような気がする。 一応検閲などもあるものの、その辺は新聞のほうが先行しているので雑誌と結び付けて考えられてないからなぁ、言うて機関誌だし。 多分、広く発言を載せるような体裁になるといろいろ危なかったんだろうね。 右だ左だってことじゃなくて、政府に対して意見があるのが危ないみたいなの、結構ちょくちょく中枢が変わるので政府内部に味方がいても危ないのでややこしい。   さらに言うとこの辺の政治事情があんまり汲み取られてないのでますますわかりにくいんだろうね、雑誌。 新聞はまだしもガチで政府と取っ組み合いしてるからまだしもというか…。 ***6月24日めも。 なんかもう、雑誌とはそもそもなんぞや、の方向に走ってみました。 ぶっちゃけ正直なところ若干マシになったような気もします、なんで初期が曖昧なのかということだけに特化した感じで。 んで、このあとに出版社が出てくるんですけど、どこからが出版社か一部除いてよくわからないんだよね、なんというか、印刷代表みたいなとこに書いてあるあれって、別に出版社じゃないらしいんだよね、それっぽい名前が書いてあるけど住所自宅とか「よし〇〇にしよう」とか書いてる話とか、だいぶあとですけどあります。 そういう個人出版みたいなものが、一体どこで印刷されているものやらわからない。 自主出版で本を作るのはかなり大変っぽいんだけど、雑誌に関してはなんか妙にあっさり出てたりするんだよね、技術の進歩なのかそうでもないのか。 まあこの辺は単純にページ数や体裁の違いってこともあるのかなぁ?   なのでまあ、これは確実に出版社、というところはわかるものの、実際のところどこまで出版社なのかそうでもないのかわからないっていう。 これに関しては印刷機の歴史辺りを読んでいけばわかるんじゃないかと思うんだけども、それまで棚上げしてる感じだなー、印刷所の歴史みたいな本は一応予定にはあるんだけどいつ読むのかは未定です、読むもの多くて…。 あと社史なので読み始めると大変でね。 文藝春秋のは異様に読みやすかったんですけど、そういうところのは時系列とか認識とか曖昧なんだよあそこは元が同人誌だから仕方ないけどさもう!! 雑誌の変遷を辿るために印刷の歴史を読むって道が長いよねー、マジで。 ***6月25日めも。 えーと、なんの話してたっけ、そうそう雑誌の歴史わかんねって話をしてたんですね、まあなので、前に雑誌の本を読んだ時に『明六雑誌』→『反省会雑誌』という順番だったので突っ伏したものの、本気で流れだけを押さえるとなると今となると確かにわかる、あれだよね、機関誌からあとで一般化したのでわかりやすいというか。 (反省会雑誌ってのは『中央公論』の前身だよ、本願寺の機関誌ね。) そもそも雑誌に限らんと、小説の歴史ってのもなんとも曖昧で、こないだ馬場孤蝶さん読んでたら『当世書生気質』は普通の人が出てくるって意味ですごく斬新だったんだよねー、ということに触れてまして。 そこが、斬新だと、それ以降は埋もれるのも仕方ないな?! としか言い様がない状態となりました、なんというの、その作品こそがスタンダートへのけん引役となった場合って過小評価されるよね…。   いや鴎外さんがこの作品のことを戯作と大差ないって言ってたのは、作者の逍遥さんのほうが戯作の否定をし始めたからで、落ち着け的な意味で別に問題はないです。 逍遥さんは逍遥さんで、ゴシップ記事で実際にそこに人が存在しているのにずらずらずらずらと勝手に設定付け加えて行く状況に胸痛めて「最初からフィクションでやれ!」と言ってたので悪い人ではないんだよ…。 要するにそのゴシップ記事が当時の娯楽だったんだよねぇ、戯作のがマシじゃ。 ただ、まあ伝統の作品を否定するのはそんなには良くないから、うん、まあ、大変だよねそういう時代の変化も。 しかしこの流れを尻目に家庭小説だの政治小説だのもうあるしな! ややこしいな! ***6月26日めも。 ところで現在私はなんの話をしていますでしょうか、そもそも「小説」ってなんぞや、「雑誌」ってなんだろうねみたいな。 まあ、菊池さんの時代にはさすがにその問題はなくなってるんだけど、そうなると今度は雑誌の増加があって大衆文学の隆盛があって大衆雑誌がぼこぼこ増えてみたいな変遷も辿ってくからなぁ。 その上でその間に少年雑誌とか婦人雑誌とかが結構売れてるわけなんだよね、10万部くらい売ってたら文芸誌だと破格扱いなんだけども、婦人雑誌だとまあ普通、な感じです、原稿料とかも高かったようです。 そういうのはあんまり触れられてないんだけどね。 純文学の人らは結構赤裸々に触れられてるんだけども、その中での順列に関しては結構細かい話もしてるんだけど「純文学よりもかなり稼いでいる人たち」に関しては触れてません、なんでかはよく知らないけど☆ いや全く見当付かないというほどでもないんだけど、結局菊池さんの原稿料って破格の千円! てケース以外一切語られてなかったしなぁ。 二千円あると二階建ての家が建つくらいの当時価格だってー、こえーなおい。   その触れてる触れてないに関しても、まあなんらかの意味や意向があったのかもしれないなぁ、とぼんやり考えるくらいしかない。 あと、婦人雑誌で書いてると存在ごと消されます、筆を折ったとか紹介されます、少年雑誌で書いてる人らもいるのかもしれないけど見たことすらない、大衆雑誌で書いてた人は無職扱いだったらしいです、評価しないんじゃないんだよね、消されるんだ…。 ***6月27日めも。 まあなんの話をしたかったのかというと文学史って一見整ってるように見えるんだけどそれはあくまでも「文学史」内独自ルールに則っての上のことなので、実際の情報を探そうとすると最悪消え失せたり別の文脈の中に紛れたりするとかざらなので。 なにか特定のものを拠点にしようとすると情報を集めるところから苦労するみたいな内容にどうしてもなっちゃうんだよね、ただ、そこから話を始めるとさすがに基盤すらないみたいなことになってしまうからよくはないんだけども…。 ないんだけども、要するに独自ルールって有り体には幻覚というか…。 あんまり既存の解説に頼るってのも、ちょっとあの、ううん。   文藝春秋は戦前の総合誌トップらしいんですけど、なんかある時期から部数が消え失せてしまってそのことが数字だとわからなくなるんですよね。 中央公論は瀧田さんが死んだあとでクーデターめいたことが起こり、『婦人公論』による乗っ取りなどと言われるような出来事を経て芥川の担当編集さんが解雇されたりしてるんですけども、この一件に関しても滅多に触れられてることがない。 断片的にはないでもないんだけどその事を知らないとなんのことかわかりにくい。 改造なんて利一くんと川端が掲載数ツートップだというのにそのことが一切触れられてない、いやそりゃ、新人雑誌じゃないだろうよそれ…。 この辺は当時の事情に鑑みて黙っていただけだと思うんだよね、正直。 ところが研究者たちが懇切丁寧にその痕跡を消したままで話を勝手につないでったのでまずどこから腐ってるかをぶち抜いてから少ない情報を探さないとならないみたいなことになってるんだけども、いや、私のすることじゃないと思うんだけどね?! ***6月28日めも。 昨日の直接の続き、私のやることではないなとは思うものの、要するにそれで消されてるのが菊池さんだとなぁ、作家たちとの付き合いでもそうですけども、とある傾向のある人たちだと付き合いごと丸っと消されてるんですよね。 いや、吉川さんに関しては悪気あるとは思ってないけど、というか、あれは吉川さんのほうが消されたために起こったことだろうし正直。 とある傾向というか、特定の人らを「高尚である」という分類にしたい場合に菊池さんとの関係消しちゃうみたいなんだよね。 ただ、私が見た人たちは多分全く別にそんなことはなくて、むしろ菊池さん絡みの情報を扱おうとして関係ないはずなんだけどこういう情報があったから、と「既存の文学史」に気を使って付き合いがない、と礼儀正しく断りを入れているんだと思うんだよね、まあただ、文藝春秋の社史だの3代め社長だの見てると普通にその辺にいる人がその辺にいるということから消されたという、どこをどう改変して理解したのかは正直謎な現象になって私がぐるぐる唸ることになるんだよね…。   既存の情報ベースがそんなことになっているので、要するに単純に私は焦点を絞ってまとめられていない、というのが正しい状態の説明になるんじゃないかな…。 「文学史」を読むのに違和感に気付き、その上で流れを捉え直すのに的確にポイントを付いていて、それでいて初見であっても読める範囲、というところを目指すべきだった、とは別に全く思ってないのでえーと、ポイントを一つに絞ってよくある勘違いを一つ二つ入れてそれ以上は書かない、というのが妥当なラインかな。 なんだ、足りないのは計画性か、あれもう一回書き直してみるか。 ***6月29日めも。 ポイントだけ洗い直すつもりでもう少し、いわゆる中央公論は「政治雑誌の客寄せ」として小説を載せようとした雑誌なので格式は低くないもののどちらかというと売れ筋の作家に対しての偏重が大きく(政治に関してはわりと硬派だったけどねー、デモクラシー寄りで吉野作造さんとは本当に仲が良かった)、文藝春秋は、もともとリトルマガジンや同人誌などの作家の色が強い雑誌が大量に出た時代の生き残りであってほとんど偶然のように出世し、大衆雑誌などの力も借りるようにわかりやすい方向に。 ただし載ってるのは結構な硬派って気もする、思想の方向性はなし。 新潮はこれは良くも悪くも文芸誌であって、いわゆる純文学志向が非常に高いんだけどちょっとあの、島田清次郎関係を見ていると感心しない点があったな…。 これは「カネと文学」の本を直接出したほうがわかりやすいかも。 流行ったことはないけどなんだかんだと息が長い、大正8年からの雑誌ブームを生き残るのにちょっとね、ということがあった感じかな。 (あと中村武羅夫さんが気になるね、あの人にも触れられてない。)   改造に関しては堅いけどわりと前のままのノリでいいかな、どうも「改造の時代」という本が正史扱いらしいってことを中心に据えてみよう。 硯友社はそれこそ作家という職業そのものがない時代に、小説一本で雑誌化したということで画期的な集団だったんだけど、まあどの雑誌ってことはあんまりないよ的な。 書いてはあるつもりなんだけどこの結論まで遠いんだよね。 女学雑誌と文藝時代に関しては枠外において現時点の不明点羅列まとめ。 んー、文學界どうしよ、若い作家の受け皿だった的な内容かな? ***6月30日めも。 ここまでがっつり他のページに書いたことを述べて来てそれがどこにあるのかということをあんまり気にしていなかったんですが、いつ移動することになるのかよくわからんところがあるのでリンクはあんまり張りたくないのであれです「雑記116」です。 雑誌などをメインにだーっと10個くらい並んでるんですけど、やっぱり新聞はなんか違う気がする、というか、新聞が小説というメディアにおいてどのような位置だったのかよくわからないところがあるんだよね。 ものすごくぶっちゃけて、朝日は漱石さん、日日は菊池さんとの相対的な関係しかわからない、なんというか大ヒットになっても雑誌の人たちが意識すらしてなくて、大きな反響になってから初めて業界の他のところにも伝わった程度のブランクがあるような気がしていて、あれですね、大雑把に3年以上人気が続くか社会現象になるほどに目立つかするとメディア間の垣根を越えてくんだけど、なんかそのくらい雑誌が新聞での連載小説の動きに無関心だったって気もしてるんだよな…。 なんか把握してなさそうというか興味なさそうというか。 (新聞側でもそんな感じ、雑誌には載せていいと菊池さんも契約時に言われてた。)   今の時点でこの境目がどんなもんだったかを把握していないので、単体メディアとしてどんな位置だったのか的なことをそもそも言えないという感じに。 なるので一体どうしようかな、という感じになってるんだけども。 そもそも読売省いてるし、ううん、項目からもう一回選び直そうかな、なんか他にもぽちぽち雑誌あるしなぁ、むしろ総合誌3つ、新潮、新聞3つ、硯友社、白樺、新思潮辺りのほうがいいかしら…よしこれでいくか。 ***7月1日めも。 項目10個を決め直したので、むしろそれぞれを配置して全体で流れを出来るようにしようみたいなことを考えているものの、えーと、えーと、なんかの紙に書いたほうがいいのかこれ。 新聞に関しては小説そのものは載せてはいるものの、その質に拘るということがあまりなく、というところを主軸にしていくといいのかも、売れるならインテリもいいんだけど売れなくて辛い思いしてまで質が高いとか言いたくないんだよね多分、なんというか商売なので、読売はその辺のところが若干違ってて文芸ありきで成り立って来たところがあるので質下げると逆に客に嫌われるみたいなところがないでもないんだけどこれをどうやってまとめればわかりやすくなるのかしら。 というかひょっとして、白鳥さんに関しての本を読んでからにしたほうがいいのかしら、いや彼が編集をやってるので、編集長ではなかったよね、なんか偉いようなそうでもないような微妙な立場で記憶がいまいち。 うーん、やっぱり面倒臭いので適当に並べよう。 というか厳密にやろうとするとどっちが前とか後ろとかなんか変なんだよね、文學界とか文藝時代とかはまああれ、なんかマイナーで知ってることがあるだけマシみたいなページ作ってそこでまとめていけばいいや。 いや、文學界とかはコミュニティは有名だけどな! でも後継雑誌が『明星』なのに詩の雑誌だということを知らない人がいる時点でなんかこう、マイナーに突っ込んでもいいかなって、あ、馬場孤蝶さんがそうだったよマジ。   どこそこがわかんねページは必要は必要なんだよね私のために。 (文アルとか近代芸術、122) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)

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