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*雑記:文アルとか近代芸術、109 ***2月12日めも。 リアルタイムは5月29日です、なんか二日分ほど書いた分があったんですけども『大衆紙の源流』て本の、なんか微妙に勘違いしてたところがあったので、文章直すよりもまとめて捨ててしまっているところです。 なんというか、別に捨てるほどの致命的な間違いでもないんだけどねー、まあそれもなんとなくですなんとなく。   で、『大衆紙』というのは大雑把に「小新聞」と呼ばれている新聞のようなんですが、欧米には今もあるらしいんだけど日本にはないんだよね、これ。 今ふと思いついたけど、いわゆるゴシップ系の週刊誌みたいな感じの内容です、読み物なんかが入ってる分、多分小新聞のほうがマシなのかなぁ。 いやただ、事件関係者の家の前で記事を読み上げていたりしたからなぁ。 正直なところ、当時の有識者が道徳のためにいいんじゃないか、ということを述べているんですがちょっとどうにも。 というか、そういや外国からの批判に対して我々の道徳レベルが低いうちはしょうがない部分があるんだよ、と言われると、まあそう受け止めたほうがいいのかも。 道徳レベルが極端に低い場合に晒し者にするということが一定の成果を上げるってことはまあまあありえないでもないのかな、ぶっちゃけ、讒言だのねつ造だのが横行するようになると、とちょっとげんなりはするんですけどね。 あと、悪意はなくても勘違いってのもあるよなー、なんか菊池さんがこれ定期的に怒ってたような気がする、ただ、「旅人が泊ったからって身ぐるみ剥いで殺しちゃ駄目だよ」と諫めてた民話を責めるみたいなことも…、うん、当時の人に任せよう。 ***2月13日めも。 というか前日分、なんか大衆紙単体に触れたまんま終わってるんだけど、なんかこの「小新聞」ってのはもともと版型が小さかったからそう呼ばれたらしく、まあそりゃ、大新聞と違ってゴシップなんて探し回らないとないよなぁ。 なんかね、都新聞の前身になった警察から直接貰った事件資料を描いた小新聞の一種(名前忘れた、ただ性質は面白いので覚えてた、ざっつ雑)は「これじゃない」的に全然庶民受けはしなかったようです。 だよねー、勧善懲悪とか言ってるけど、結局野次馬根性で見たいだけだもんな。 別に勧善懲悪で売ってることを言下に責めてるとかではなく、それこそが売れる条件ってことだと仕方ないと思うんだよね。 というかあの新聞なんだっけ、日日新聞がどうも支援してたらしく、その後全く言及しなくなってしまったのは、まあ、成功しなかったからかねー、結局他所の新聞に吸収されてったってことは、えーと、小新聞系の人材を集めたところで大新聞の日日新聞ではちょっと使い出がなかったっていう感じかしら。 小新聞同士で合体して、関東大震災の頃までを生き延び、生き残った新聞社として自然増で購読者が増えた、という認識でいいのかなー、都新聞。 いや、なんか連載の面子が面白いから覚えてるだけなんだけど。 花柳界記事や土地の風俗なんかを扱ってたって意味では、ある意味で東京の地方紙っていう扱いだったんかもねー。   そういやこの本で偶然知ったんですが、花柳界記事って要するに間接的な政治批判なんだそうです、あ、あー、そういうことになるのか…聞かないとわからんねこれは。 ***2月14日めも。 『大衆紙の源流』についての引き続き、基本的に好きなんですがこういう研究ジャンル、というか、大衆って名前が付くものってどうしても風俗研究になるのでデータがないとそもそもお話にもならないので好きなんだよね。 まああの、うん、えーと、文学史で懲りたとかそういう、あの。 大雑把に扱われているのが日本から「大新聞」と「小新聞」の区分そのものが消え去るくらいまで、ということになるのかな、どちらかが消滅したというよりそうやって分離することそのものが意味がなくなってしまった、どちらのスタイルも踏襲した中新聞と呼ばれる新聞が日本のスタンダートになったというのが正しい説明なのかな? まあ、前日分で触れた都新聞なんてのは小新聞に近いような気もするし。 しかしあくまでも新聞それぞれの特徴であって、二つにばっきり別けることが出来ないのならあんまり意味もないってことになるのかも。 あれか、例外が極端に少なかったらそれはそれで分類する意味もあるけど、そもそも小新聞の特徴とされていた挿し絵も続き物と呼ばれる読み物も変化しながら大新聞にも載るようになると意味もないか。 そういや、研究が足りない分野として浮世絵系の人たちが作っていた新聞があるそうなのですが、それも結局他の新聞に吸収されちゃったみたいだねー。   というか今つらつら打ち込んでて思ったけど「文字が半端にしか読めない人」の消滅も小新聞の消滅とだいたい連動してたのかしら…。 あれだ、新時代の小説が出て来たのと同じ元禄じじいの絶対的減少…。 で、日清戦争と日露戦争か、他ジャンルの時代の変節とも合致してら。 ***2月15日めも。 『大衆紙の源流』の諸々、というか庶民だろうがなんだろうがとりあえず小学校には行こうよ、という時代がいつくらいなのかがよくわからないけど、大正15年には大衆紙の決定版のキングが作られまして小学校卒業の人たちを最底水準として扱っているので、混ざってた時代なんてのもまあ長く続いたのかなー、という気がするんですが。 日本の場合、識字率というより、準識字率が高いと表現したほうがいいみたいなんだよね、カタカナと平仮名は読めていくつかの漢字までは読めるみたいな。 が、平仮名だけの新聞はあまり売れることがなく、総ルビを振った新聞のほうが売れ、この読売新聞のスタイルがその後の小新聞のスタイルになり。 なんでなのかなー、と不思議がられてたんですが。 まあ、平仮名で書かれた文章ってもう本当に読みにくいけど…、あの、塊で認識することが全然出来ないんだよね、アルファベットもあれだよね、単語単位で認識する。 ぶっちゃけ、本当に必要なものだったら読んだかもしれないんだけどさ、総平仮名。 小新聞があくまでも娯楽のためのものだったってことも無関係ではないような気がしないでもない、というか、周囲の人が文章読み上げてくれる光景ってわりと一般的だったみたいだしねー、これは娯楽ジャンル読んでるとわりと見るし。   大新聞は全国あまねく売れてるらしいんですが、農村なんか読める人が多分1.7%くらいしかいないのに比較的コンスタントに売れるっていう。 これは完全識字率の数で表現されてたんだけどねー、大衆研究大変やな。 ただ、別の本で残存新聞を追いかけてた人が言ってたけど、どうも持ち回りで購入していたぽいし、読み上げも普通にありそうだよなぁこれ見ても。 ***2月16日めも。 『大衆紙の源流』の続き。   んで、そうなると小新聞が純粋に需要という観点で大新聞を上回ったというより、大新聞は据え置きで共同購入などのシステムが維持され、なんというか収入の増加があった場合の自然増でしか増えず、小新聞の場合はなんというかいまいち部数が安定しなかったとも聞いているのでやっぱり純粋に娯楽なんじゃないのかなー、と思っちゃうんだけど。 文芸サロンの衰退と共に衰退していった、というのもなんかそれっぽいんだよね、というか純粋な娯楽だとしたら新聞スタイルである必要って特にないし、小新聞そのものは衰退しても同じ内容のものってどっかに存在してるんじゃないのかなぁ。 中新聞に載ってる娯楽作品って、まあそれなりに上下なんかはあるものの、さすがに準識字者の相手とかではないもんなぁ、あくまで内容のレベルの高低。 準識字者相手のために始まり、のちには娯楽目的となり、文芸サロンの同時性が必要なくなってしまった段階で、別の媒体に移った、みたいなことなんじゃないのかなー、とというかなんで延々と説をまとめてるんだかよくわからないんだけど。 いやまあ、なんか、ちょっとずつ結論がない内容だったのでつい…。 ゴシップ誌って言われると文藝春秋が近いことをしていたことくらいしか思い出せないんだけど(なんかまあまあ穏当な内容ではあったよ、実際よりドギツいというよりなんかちょっとだけマイルドになってたり)。 というかあれ、この本、小説の誕生で見たいくつかの内容と組み合わさって欲しいんだよねー、いわゆるこの手のゴシップ記事が過激化していって、ほぼほぼ作り話となってしまい、だったら最初から創作でって言われる過程…記事内容には興味ないかな? ***2月17日めも。 『大衆紙の源流』について、というかあれですね、なんであれやこれやと言いたくなってしまうかというと小新聞というのがあるいは大新聞よりもはるかに広いジャンルと絡まりあっているせいじゃないかと思うんですが、あと、そもそも小説の源流もこの辺の「読み物」が元なので結構な範囲で読んでるからなぁ。 小新聞で取り入れられ、成功し、レベルが上がってから大新聞に取り入れられてったってものも結構数があるっぽいよねー。 あとねあとねー、雑誌で文芸誌系じゃないやつとの合同研究も見たいです、そもそも新聞の初期には雑誌ってもんがないし、小新聞だったら雑誌のほうが向いてる気がするし、でも、小新聞で活躍してた仮名垣魯文さんの系譜ってなんか雑誌では見かけた覚えがないしなー、講談かなんかのところにいるのかしら、戯作の雑誌も、なんか見たような覚えがない、いや、実態がそれに近いものはあるにはあったんだけど基本が小説っぽいんだよね、これがどうも微妙に時代がつながる気がしなくて。   いやだから、なんであれ見たいこれ見たいスタイルなんだよ。 この辺は正直なところまだ探し尽くせてる気は全然してないので、今後見付かる可能性だってあるしな!! じゃなくて、書かれてた内容をまとめようよ、えーとあの、魯文さんは私は好きです、現代人に人気があるタイプかどうかは微妙だと思う。 あのあれ、ヘロドトスと同系統って言って誰に通じるんだよ一体。 というか魯文の弟子たちが基本的に小新聞を仕切っていた、という認識でいいのかしら、他の系譜の人たちはそんなに長続きしなかったって読めたんだけどね。 ただ、そうなると小説と戯作って完全に絡まってるよね? なんだぁ。 ***2月18日めも。 『大衆紙の源流』ともろもろろ。 えーと、準識字者向けが小新聞だったろう、だけど何故かひらかな新聞はさほどの売り上げもなかったんだよね、と、だんだん大新聞の売り上げを小新聞が凌駕していったため、大新聞の傘下として小新聞が作られた、ということと。 ああ、そっか、そもそも明治14年政変で新聞業界が激変しまして、そののちに政党系の小新聞がぼこぼこと生まれ、この小新聞が消えてしまった頃に大新聞系の小新聞が生まれるようになった、というのが正しい順序なのかな。 この新聞業界の激変というのはぽちぽち語られている規定路線ぽいんだけど、というか人間の入れ替わりや資本まで変わっているので「変化はれっきとした事実」なものの、それをどう大衆側が受け止めたのかっていう研究についてはそういえば読んでなかったような気がする、というか、なんで各政党が作ったのが小新聞なん? ターゲットが庶民だったって意味なんだろうけど、なんで明治14年政変によって庶民向け路線を目指したのかがさっぱりわからない…。 というか明治14年政変てのがまあややこしくて、すごくざっくり大隈重信を政界から放り出そうとしたら政界ごと傾いたみたいな事件なんですけども。 私は大隈重信は悪くないと思うけど被害規模考えると黒幕扱いまでは致し方ないかなって気もしないでもないというか、そもそもこの人が新聞各社に金出してるんだよね、特になんも考えてなくて協力者が出してって言われたから出したみたいな感じだったんだけど多分そこで利用し始めたんだな政界から追い出されたから。   今すごく適当に言ってます、ただ、多分そんなに間違ってもないです。多分。 ***2月19日めも。 『大衆紙の源流』のもろろろろ。 他は適当に思いつきだけで言っているものの、小新聞の部数がどうも安定しなかったことに関してだけは触れておいて欲しかったかなー、というのが正直なところなんですが、いや、正直これは語られてる時点で間違えるということはあんまりない気がするんだ。 安定しないってことは内容によってえり好みされてるんじゃないかってのがわりと簡単に思いつくことなんですけども、えり好みされていて内容が「読み物」だった場合、それはもう娯楽としか言い様がない気がするんだよね。 そういや黒岩涙香が探偵小説だったかの海外小説の翻案書いてたのも確か小新聞の末期かちょい前からだったかな、警察情報まんまの小新聞だと売れないけど、小説スタイルで面白ければそういう内容売れるってことだよね。 しかも、元が小説ってことはむしろゴシップ系の事件記事よりまともなんだよね。 まー、正直書ける人はものすごく限られてたろうけど…、海外小説を軽く読みこなす教養と戯作作家の才能か、純粋に組み合わせのみが難しいぞこれ。   政党系の小新聞を作った理由のほうはさっぱりわからないながら、なんで受けなかったのかはわかるような気もします、娯楽にならなかったんだな? もうちょっとあとの時代になると政治を娯楽とする系統の青年たちは出てくるものの、これはいわゆるインテリ青年層によるものだからなぁ、小新聞の読者とはこれも違うし、多分雑誌スタイルのほうが向いてるよね(実際そうだったし)。 しかし大新聞の売り上げを小新聞が凌駕するようになり、てのはなぜか明治14年政変よりあとなのか、なんでかしら? 大新聞のレベルなら上がってるはずだけど…。 ***2月20日めも。 『大衆紙の源流』とその他もろもろ。 そもそもこの本、小新聞とはなにかというところから始まったものの、これはそもそも実際に使われていた「版型が小さい」から付いた単純な呼称であってその後、一種の蔑称のように扱われ(しかし憤ってるのはインテリ寄りの人なんだよなぁ)、その後忘れ去られてしばらくのちに歴史の用語としてその来歴を微妙に落とした形で復活し、そこから新聞の歴史として取り込まれたもののようなので。 ざくっと読んでいて感じたのは小新聞とはなにか、という問いはある一定以上は意味がないんだろうなー、という部分かしらむしろ。 大新聞と混ざってしまったってことが結局日本式新聞の「答え」なんだろうしね。 というか小新聞のスタイルからターゲット、社会構造そのものからブレてった時代ともなると仕方ないよなぁ。   てか、この中新聞という存在が決定的になったのって大阪の朝日新聞が小新聞から大新聞へと変化し(しかし小新聞の特徴は維持し)、東京へと進出。 同じく小新聞として生まれた大阪の毎日新聞が同じく大新聞へとなって、東京の日日新聞を買収したよ、という辺りでいいのかしら。 微妙に何年かってのも時代の区切りになってそうだなぁ。 毎日のほうの東京進出は日日新聞の経営不振のタイミングらしいんで、そこまで時期がどうこうってことでもないのかもしれないけど、いやでも結局、大新聞が傾くような時期ってことでは意味があるのかな。 大阪の小新聞てのは最初から政治も扱ったみたいなんだけどね、土地柄かな。 ***2月21日めも。 『大衆紙の源流』とその他もろもろ。 そういや、新聞の歴史において結局全国制覇したのは大阪の毎日新聞と朝日新聞なのに東京の冠を関して語られているのはなんか捩れてるよね、というのは正直全くだよなぁ、というか大阪では庶民と士族階級にそこまでの違いみたいなものがなかったから最初から中間的な存在であるのが自然で、ある意味で少しずつ全国的にかつての大阪の構造になってったということなのかしら。   で、どっちかというと小新聞に近いスタイルだったらしい経済新聞のほうが気になったんだけども、これは東京にはなかったっぽい。 ただ、新聞じゃなくて出版社だと近いものがあるよね、たまに資料として使われてるので知ってる、えーと、実業之日本社か、あるいはこの出版社も大阪で生まれてる可能性もあるか、雑誌スタイルなら東京でもやりようはあるだろうし。 そういや、日本経済新聞の前身もこの辺の新聞なんだろうね、土地とかちゃんと見てなかったけど(戦時統制でまとめられたまま戦後も継続)。 というか、大阪から生まれてそのことが無視されてる出版社なんかもあるのかなぁ、そういや東京進出しないままで大阪で終わるとそもそも認識されもしないことなんてのもあるのか、なんか前に調べてた講談出身の出版会社も忘れられた扱いになってたような…、あれ、なんで全く見たことないのかなと思ってたらそういう理由かなぁ。 (Wiki辞書さんで調べたのでどっかの書籍になってるとは思うものの、講談関係読んでても大衆文学読んでても出てこないんだよね、文学史には期待してない。) つか、ただ大阪で生まれただけで調べられなくなると素で困るよな…。 (文アルとか近代芸術、109) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)
*雑記:文アルとか近代芸術、109 ***2月12日めも。 リアルタイムは5月29日です、なんか二日分ほど書いた分があったんですけども『大衆紙の源流』て本の、なんか微妙に勘違いしてたところがあったので、文章直すよりもまとめて捨ててしまっているところです。 なんというか、別に捨てるほどの致命的な間違いでもないんだけどねー、まあそれもなんとなくですなんとなく。   で、『大衆紙』というのは大雑把に「小新聞」と呼ばれている新聞のようなんですが、欧米には今もあるらしいんだけど日本にはないんだよね、これ。 今ふと思いついたけど、いわゆるゴシップ系の週刊誌みたいな感じの内容です、読み物なんかが入ってる分、多分小新聞のほうがマシなのかなぁ。 いやただ、事件関係者の家の前で記事を読み上げていたりしたからなぁ。 正直なところ、当時の有識者が道徳のためにいいんじゃないか、ということを述べているんですがちょっとどうにも。 ただまあ、外国からの批判に対して我々の道徳レベルが低いうちはしょうがない部分があるんだよ、と返しているのを見ると、まあそう受け止めたほうがいいのかも。 道徳レベルが極端に低い場合に晒し者にするということが一定の成果を上げるってことはまあまあありえないでもないのかな、ぶっちゃけ、讒言だのねつ造だのが横行するようになると、とちょっとげんなりはするんですけどね。 あと、悪意はなくても勘違いってのもあるよなー、なんか菊池さんがこれ定期的に怒ってたような気がする、ただ、「旅人が泊ったからって身ぐるみ剥いで殺しちゃ駄目だよ」と諫めてた民話を責めるみたいなことも…、うん、当時の人に任せよう。 ***2月13日めも。 というか前日分、なんか大衆紙単体に触れたまんま終わってるんだけど、なんかこの「小新聞」ってのはもともと版型が小さかったからそう呼ばれたらしく、まあそりゃ、大新聞と違ってゴシップなんて探し回らないとないよなぁ。 なんかね、都新聞の前身になった警察から直接貰った事件資料を描いた小新聞の一種(名前忘れた、ただ性質は面白いので覚えてた、ざっつ雑)は「これじゃない」的に全然庶民受けはしなかったようです。 だよねー、勧善懲悪とか言ってるけど、結局野次馬根性で見たいだけだもんな。 別に勧善懲悪で売ってることを言下に責めてるとかではなく、それこそが売れる条件ってことだと仕方ないと思うんだよね。 というかあの新聞なんだっけ、日日新聞がどうも支援してたらしく、その後全く言及しなくなってしまったのは、まあ、成功しなかったからかねー、結局他所の新聞に吸収されてったってことは、えーと、小新聞系の人材を集めたところで大新聞の日日新聞ではちょっと使い出がなかったっていう感じかしら。 小新聞同士で合体して、関東大震災の頃までを生き延び、生き残った新聞社として自然増で購読者が増えた、という認識でいいのかなー、都新聞。 いや、なんか連載の面子が面白いから覚えてるだけなんだけど。 花柳界記事や土地の風俗なんかを扱ってたって意味では、ある意味で東京の地方紙っていう扱いだったんかもねー。   そういやこの本で偶然知ったんですが、花柳界記事って要するに間接的な政治批判なんだそうです、あ、あー、そういうことになるのか…聞かないとわからんねこれは。 ***2月14日めも。 『大衆紙の源流』についての引き続き、基本的に好きなんですがこういう研究ジャンル、というか、大衆って名前が付くものってどうしても風俗研究になるのでデータがないとそもそもお話にもならないので好きなんだよね。 まああの、うん、えーと、文学史で懲りたとかそういう、あの。 大雑把に扱われているのが日本から「大新聞」と「小新聞」の区分そのものが消え去るくらいまで、ということになるのかな、どちらかが消滅したというよりそうやって分離することそのものが意味がなくなってしまった、どちらのスタイルも踏襲した中新聞と呼ばれる新聞が日本のスタンダートになったというのが正しい説明なのかな? まあ、前日分で触れた都新聞なんてのは小新聞に近いような気もするし。 しかしあくまでも新聞それぞれの特徴であって、二つにばっきり別けることが出来ないのならあんまり意味もないってことになるのかも。 あれか、例外が極端に少なかったらそれはそれで分類する意味もあるけど、そもそも小新聞の特徴とされていた挿し絵も続き物と呼ばれる読み物も変化しながら大新聞にも載るようになると意味もないか。 そういや、研究が足りない分野として浮世絵系の人たちが作っていた新聞があるそうなのですが、それも結局他の新聞に吸収されちゃったみたいだねー。   というか今つらつら打ち込んでて思ったけど「文字が半端にしか読めない人」の消滅も小新聞の消滅とだいたい連動してたのかしら…。 あれだ、新時代の小説が出て来たのと同じ元禄じじいの絶対的減少…。 で、日清戦争と日露戦争か、他ジャンルの時代の変節とも合致してら。 ***2月15日めも。 『大衆紙の源流』の諸々、というか庶民だろうがなんだろうがとりあえず小学校には行こうよ、という時代がいつくらいなのかがよくわからないけど、大正15年には大衆紙の決定版のキングが作られまして小学校卒業の人たちを最底水準として扱っているので、混ざってた時代なんてのもまあ長く続いたのかなー、という気がするんですが。 日本の場合、識字率というより、準識字率が高いと表現したほうがいいみたいなんだよね、カタカナと平仮名は読めていくつかの漢字までは読めるみたいな。 が、平仮名だけの新聞はあまり売れることがなく、総ルビを振った新聞のほうが売れ、この読売新聞のスタイルがその後の小新聞のスタイルになり。 なんでなのかなー、と不思議がられてたんですが。 まあ、平仮名で書かれた文章ってもう本当に読みにくいけど…、あの、塊で認識することが全然出来ないんだよね、アルファベットもあれだよね、単語単位で認識する。 ぶっちゃけ、本当に必要なものだったら読んだかもしれないんだけどさ、総平仮名。 小新聞があくまでも娯楽のためのものだったってことも無関係ではないような気がしないでもない、というか、周囲の人が文章読み上げてくれる光景ってわりと一般的だったみたいだしねー、これは娯楽ジャンル読んでるとわりと見るし。   大新聞は全国あまねく売れてるらしいんですが、農村なんか読める人が多分1.7%くらいしかいないのに比較的コンスタントに売れるっていう。 これは完全識字率の数で表現されてたんだけどねー、大衆研究大変やな。 ただ、別の本で残存新聞を追いかけてた人が言ってたけど、どうも持ち回りで購入していたぽいし、読み上げも普通にありそうだよなぁこれ見ても。 ***2月16日めも。 『大衆紙の源流』の続き。   んで、そうなると小新聞が純粋に需要という観点で大新聞を上回ったというより、大新聞は据え置きで共同購入などのシステムが維持され、なんというか収入の増加があった場合の自然増でしか増えず、小新聞の場合はなんというかいまいち部数が安定しなかったとも聞いているのでやっぱり純粋に娯楽なんじゃないのかなー、と思っちゃうんだけど。 文芸サロンの衰退と共に衰退していった、というのもなんかそれっぽいんだよね、というか純粋な娯楽だとしたら新聞スタイルである必要って特にないし、小新聞そのものは衰退しても同じ内容のものってどっかに存在してるんじゃないのかなぁ。 中新聞に載ってる娯楽作品って、まあそれなりに上下なんかはあるものの、さすがに準識字者の相手とかではないもんなぁ、あくまで内容のレベルの高低。 準識字者相手のために始まり、のちには娯楽目的となり、文芸サロンの同時性が必要なくなってしまった段階で、別の媒体に移った、みたいなことなんじゃないのかなー、とというかなんで延々と説をまとめてるんだかよくわからないんだけど。 いやまあ、なんか、ちょっとずつ結論がない内容だったのでつい…。 ゴシップ誌って言われると文藝春秋が近いことをしていたことくらいしか思い出せないんだけど(なんかまあまあ穏当な内容ではあったよ、実際よりドギツいというよりなんかちょっとだけマイルドになってたり)。 というかあれ、この本、小説の誕生で見たいくつかの内容と組み合わさって欲しいんだよねー、いわゆるこの手のゴシップ記事が過激化していって、ほぼほぼ作り話となってしまい、だったら最初から創作でって言われる過程…記事内容には興味ないかな? ***2月17日めも。 『大衆紙の源流』について、というかあれですね、なんであれやこれやと言いたくなってしまうかというと小新聞というのがあるいは大新聞よりもはるかに広いジャンルと絡まりあっているせいじゃないかと思うんですが、あと、そもそも小説の源流もこの辺の「読み物」が元なので結構な範囲で読んでるからなぁ。 小新聞で取り入れられ、成功し、レベルが上がってから大新聞に取り入れられてったってものも結構数があるっぽいよねー。 あとねあとねー、雑誌で文芸誌系じゃないやつとの合同研究も見たいです、そもそも新聞の初期には雑誌ってもんがないし、小新聞だったら雑誌のほうが向いてる気がするし、でも、小新聞で活躍してた仮名垣魯文さんの系譜ってなんか雑誌では見かけた覚えがないしなー、講談かなんかのところにいるのかしら、戯作の雑誌も、なんか見たような覚えがない、いや、実態がそれに近いものはあるにはあったんだけど基本が小説っぽいんだよね、これがどうも微妙に時代がつながる気がしなくて。   いやだから、なんであれ見たいこれ見たいスタイルなんだよ。 この辺は正直なところまだ探し尽くせてる気は全然してないので、今後見付かる可能性だってあるしな!! じゃなくて、書かれてた内容をまとめようよ、えーとあの、魯文さんは私は好きです、現代人に人気があるタイプかどうかは微妙だと思う。 あのあれ、ヘロドトスと同系統って言って誰に通じるんだよ一体。 というか魯文の弟子たちが基本的に小新聞を仕切っていた、という認識でいいのかしら、他の系譜の人たちはそんなに長続きしなかったって読めたんだけどね。 ただ、そうなると小説と戯作って完全に絡まってるよね? なんだぁ。 ***2月18日めも。 『大衆紙の源流』ともろもろろ。 えーと、準識字者向けが小新聞だったろう、だけど何故かひらかな新聞はさほどの売り上げもなかったんだよね、と、だんだん大新聞の売り上げを小新聞が凌駕していったため、大新聞の傘下として小新聞が作られた、ということと。 ああ、そっか、そもそも明治14年政変で新聞業界が激変しまして、そののちに政党系の小新聞がぼこぼこと生まれ、この小新聞が消えてしまった頃に大新聞系の小新聞が生まれるようになった、というのが正しい順序なのかな。 この新聞業界の激変というのはぽちぽち語られている規定路線ぽいんだけど、というか人間の入れ替わりや資本まで変わっているので「変化はれっきとした事実」なものの、それをどう大衆側が受け止めたのかっていう研究についてはそういえば読んでなかったような気がする、というか、なんで各政党が作ったのが小新聞なん? ターゲットが庶民だったって意味なんだろうけど、なんで明治14年政変によって庶民向け路線を目指したのかがさっぱりわからない…。 というか明治14年政変てのがまあややこしくて、すごくざっくり大隈重信を政界から放り出そうとしたら政界ごと傾いたみたいな事件なんですけども。 私は大隈重信は悪くないと思うけど被害規模考えると黒幕扱いまでは致し方ないかなって気もしないでもないというか、そもそもこの人が新聞各社に金出してるんだよね、特になんも考えてなくて協力者が出してって言われたから出したみたいな感じだったんだけど多分そこで利用し始めたんだな政界から追い出されたから。   今すごく適当に言ってます、ただ、多分そんなに間違ってもないです。多分。 ***2月19日めも。 『大衆紙の源流』のもろろろろ。 他は適当に思いつきだけで言っているものの、小新聞の部数がどうも安定しなかったことに関してだけは触れておいて欲しかったかなー、というのが正直なところなんですが、いや、正直これは語られてる時点で間違えるということはあんまりない気がするんだ。 安定しないってことは内容によってえり好みされてるんじゃないかってのがわりと簡単に思いつくことなんですけども、えり好みされていて内容が「読み物」だった場合、それはもう娯楽としか言い様がない気がするんだよね。 そういや黒岩涙香が探偵小説だったかの海外小説の翻案書いてたのも確か小新聞の末期かちょい前からだったかな、警察情報まんまの小新聞だと売れないけど、小説スタイルで面白ければそういう内容売れるってことだよね。 しかも、元が小説ってことはむしろゴシップ系の事件記事よりまともなんだよね。 まー、正直書ける人はものすごく限られてたろうけど…、海外小説を軽く読みこなす教養と戯作作家の才能か、純粋に組み合わせのみが難しいぞこれ。   政党系の小新聞を作った理由のほうはさっぱりわからないながら、なんで受けなかったのかはわかるような気もします、娯楽にならなかったんだな? もうちょっとあとの時代になると政治を娯楽とする系統の青年たちは出てくるものの、これはいわゆるインテリ青年層によるものだからなぁ、小新聞の読者とはこれも違うし、多分雑誌スタイルのほうが向いてるよね(実際そうだったし)。 しかし大新聞の売り上げを小新聞が凌駕するようになり、てのはなぜか明治14年政変よりあとなのか、なんでかしら? 大新聞のレベルなら上がってるはずだけど…。 ***2月20日めも。 『大衆紙の源流』とその他もろもろ。 そもそもこの本、小新聞とはなにかというところから始まったものの、これはそもそも実際に使われていた「版型が小さい」から付いた単純な呼称であってその後、一種の蔑称のように扱われ(しかし憤ってるのはインテリ寄りの人なんだよなぁ)、その後忘れ去られてしばらくのちに歴史の用語としてその来歴を微妙に落とした形で復活し、そこから新聞の歴史として取り込まれたもののようなので。 ざくっと読んでいて感じたのは小新聞とはなにか、という問いはある一定以上は意味がないんだろうなー、という部分かしらむしろ。 大新聞と混ざってしまったってことが結局日本式新聞の「答え」なんだろうしね。 というか小新聞のスタイルからターゲット、社会構造そのものからブレてった時代ともなると仕方ないよなぁ。   てか、この中新聞という存在が決定的になったのって大阪の朝日新聞が小新聞から大新聞へと変化し(しかし小新聞の特徴は維持し)、東京へと進出。 同じく小新聞として生まれた大阪の毎日新聞が同じく大新聞へとなって、東京の日日新聞を買収したよ、という辺りでいいのかしら。 微妙に何年かってのも時代の区切りになってそうだなぁ。 毎日のほうの東京進出は日日新聞の経営不振のタイミングらしいんで、そこまで時期がどうこうってことでもないのかもしれないけど、いやでも結局、大新聞が傾くような時期ってことでは意味があるのかな。 大阪の小新聞てのは最初から政治も扱ったみたいなんだけどね、土地柄かな。 ***2月21日めも。 『大衆紙の源流』とその他もろもろ。 そういや、新聞の歴史において結局全国制覇したのは大阪の毎日新聞と朝日新聞なのに東京の冠を関して語られているのはなんか捩れてるよね、というのは正直全くだよなぁ、というか大阪では庶民と士族階級にそこまでの違いみたいなものがなかったから最初から中間的な存在であるのが自然で、ある意味で少しずつ全国的にかつての大阪の構造になってったということなのかしら。   で、どっちかというと小新聞に近いスタイルだったらしい経済新聞のほうが気になったんだけども、これは東京にはなかったっぽい。 ただ、新聞じゃなくて出版社だと近いものがあるよね、たまに資料として使われてるので知ってる、えーと、実業之日本社か、あるいはこの出版社も大阪で生まれてる可能性もあるか、雑誌スタイルなら東京でもやりようはあるだろうし。 そういや、日本経済新聞の前身もこの辺の新聞なんだろうね、土地とかちゃんと見てなかったけど(戦時統制でまとめられたまま戦後も継続)。 というか、大阪から生まれてそのことが無視されてる出版社なんかもあるのかなぁ、そういや東京進出しないままで大阪で終わるとそもそも認識されもしないことなんてのもあるのか、なんか前に調べてた講談出身の出版会社も忘れられた扱いになってたような…、あれ、なんで全く見たことないのかなと思ってたらそういう理由かなぁ。 (Wiki辞書さんで調べたのでどっかの書籍になってるとは思うものの、講談関係読んでても大衆文学読んでても出てこないんだよね、文学史には期待してない。) つか、ただ大阪で生まれただけで調べられなくなると素で困るよな…。 (文アルとか近代芸術、109) #list_by_tag(文アルとか近代芸術,100,sort=pagename)

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